仏 教と現 代
目覚めよ密教!
この連載のテーマ、「仏教と現代」にぴったりの本があった。『目覚めよ仏教!』(NHK出版)。著者は上田紀行さん。東京工業大学准教授で、日本仏教の復興に取り組む「仏教ルネッサンス塾」や「ボーズ・ビー・アンビシャス!!」という活動をしている人物だ。
この本は、上田さんと、チベット仏教の法王である、あのダライ・ラマとの対話の記録である。
まず、上田さんの質問が面白い。ダライ・ラマに質問する内容として、「日本は市場原理主義が進んでいるがどう思うか」「怒りは持つべきではないと思うか」なんて、普通しない。仏教の理解、釈迦の教えの解釈などは、ほとんど眼中にないかのような問いである。なぜそんな質問を、ダライ・ラマにするのだろう、と素人なら思う。
そして驚くことに、ダライ・ラマの解答がこれまた面白い。「ヨーロッパの社会民主主義的な社会のほうがいいと思います」「私のような高い立場の僧侶は、搾取者であるという自覚が必要です」「私は今の中国政府よりずっと左翼系ですよ」なんて、質問以上にその問いに真正面から答えていたりする。えっ?ダライ・ラマがこんなこと言うの? という感じだ。
さらに、何より上田さんの驚きっぷりが面白い。「今までお話を聞いてきて、仏教では○○、釈迦の教えでは○○、などというお話のされ方がないのに驚いている」「自分を権威づけようとしない」 …確かに、日本の坊主は、二言めには引用句を言いたがるし、自分を権威づけたがる。それがダライ・ラマにはない。ダライ・ラマは徹底的に対等な関係で、胸襟を開いて会話しようとしている。
なぜ、ダライ・ラマは、すぐに仏教用語を使ったり、自分を権威づけたりしないのだろうか? それは、仏教の考え方を完全に消化しきっているからだろう。仏教はすでにダライ・ラマの血肉となっているのだ。
読んでいて感じたのは、「この現代に釈迦が生きていたら、こんな感じなのかな」ということだ。もし現代に釈迦がいたら、「仏教によると○○」なんて言わないだろう。「俺様はお釈迦様だ、もっとあがめなさい」なんて、口が裂けても言わないはずだ。逆に日本の僧侶たちは、仏教の理解が不完全だからこそ、すぐ「仏教では○○」と言いたがり、仏教が自分の血肉となっていないからこそ偉そうに振る舞うのだ。
仏教は理屈ではない。行動の原理だ。特に真言宗などの「密教」は、即身成仏を掲げ、この身このままでブッダになれると説いている。それは言い換えれば、「あなたも私も釈尊のように生き、語り、行動せよ」ということに他ならない。ダライ・ラマこそ、行動する現代密教者の最高のモデルだと思った。
ただ気になったのは、上田さんもダライ・ラマも、「仏教的な社会」=「社会民主主義的な社会」「格差の少ない社会」という前提で話をしていること。はたしてそう安直に決めてしまっていいのだろうか。
仏教の考え方を現代社会にあてはめようとすれば、多様な解釈が生じるはずだ。かつて日蓮思想に影響を受けた石原莞爾は、大東亜共栄圏を提唱し、中国を侵略した。今でも天台宗や真言宗は玉体安穏を必死で祈願している。もし、上田さんの言うように仏教の影響の強い国づくりをしたとして、はたして平和で明るい未来が描けるだろうか。人によっては、むしろ仏教が衰退していることに、安心感さえあるのではないだろうか。
このあたりの疑問は、しかし仏教者どうしでしっかり議論すればいいことなのかもしれない。仏教者には、まず現代を生きる人間として社会に目を向けることが求められているのだろう。まずは自らに呼びかけたい。「目覚めよ密教!」と。
2007年8月21日 坂田光永
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