仏 教 と現 代

阿字の子が 阿字の古里 立出でて 又立返る 阿字の古里


 今年の夏は異常に暑かった。おそらく「地球温暖化」を実感した人は多いはず。お盆づとめの際に、檀家さんのお宅にお邪魔して、第一声は必ず「暑いですね〜」だった。

 もちろん、地球温暖化は、すべての地域で「気温が上がる」という単純なものではない。もし来年、異常に寒かったとしても、それは「温暖化がおさまった」わけではない。地球温暖化は、局地的には寒冷化や乾燥化など、さまざまな異常気象をもたらす。それが全体として温暖化に向かっているということだ。

 おもな原因もほぼはっきりしている。人間が出す、二酸化炭素だ。それを様々な角度から検証し、「ほぼ断定できる」としたのが、今年、ノーベル平和賞を受賞した「国連の気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)だ。そして今年、地球の危機を世界中に訴えたのが、平和賞を受賞したもう1人、アル・ゴア前アメリカ副大統領である。

 地球温暖化が進むと、どうなるのだろうか。IPCCは、実は恐るべき未来を予告している。

 もし仮に100年後、地球の平均気温が2.4度上昇したら、数億人が水不足になり、珊瑚礁はほぼ絶滅。北米では南はテキサス州からモンタナ州まで5州にわたって砂丘が現れて農業と牧畜をかき消し、アンデスの氷河はなくなり、地球上の3分の1の生物種が絶滅するという。

 これがもし、3.4度上昇したらどうなるか。アマゾンの熱帯雨林が砂漠となり、これまで二酸化炭素を吸収してきた植物が、逆にこれまで吸収してきた二酸化炭素を吐き出し始める。温暖化がさらなる温暖化を呼び、環境破壊が一気に進むことになる。

 では、何も対策を打たなければどうなるのだろうか。すると100年後、地球の平均気温は6.4度上昇し、すべての生命は絶滅することになる。まさに絶望のシナリオだ。

 あまり危機感をあおっても仕方がない。この数字を冷静に受け止めた上で、私たちにじゃぁ何ができるのか、考えていくことが大切だろう。ゴア氏の主演映画『不都合な真実』でも、身近にできることを列挙した上で、社会の仕組みを変えていこうというメッセージを送っている。

 ただ、本当に私たちは、100年後の地球のために、今の豊かな生活を犠牲にすることができるのだろうか。「どうせ死ぬのだから、後のことなど考えても仕方がない」という人は多いに違いない。確かにその通りだ。

 しかし、私たちの「いのち」の尺度を変えてみることで、ものの見方は大きく変わる。

 たとえば、私たちが日々、口にしている食料は、大地から生まれ育った植物や、それを食べて育った動物たちだ。私たちは食物連鎖の循環の中に生きている。また、私たちは死後、火葬なり土葬なりを経て「土」に還る。そして肉体は分解され、地球の一部となる。私たちすらも、地球の大きな循環の一片にすぎない。

 また、医学的には「心停止」が人の死であるかもしれない。しかし、物理学・化学的な意味では、質量保存の法則、エネルギー保存の法則により、心停止の前後で質量・エネルギーの総体としては変わらない。あるいは生物と無生物の境界は、考えられているよりもずっとあいまいだ。

 人間と地球との「いのち」のリレーは、ボーダレスに、綿々と続いているのである。

 別の言い方をすれば、地球という大きな(長期的な)いのちの循環の中に、小さな(短期的な)いのちとして、私たちの一生がある、とも言えないだろうか。

 弘法大師空海は、高弟であり、自分の実の甥でもあった智泉大徳が亡くなった時に、次のような歌を詠んだといわれている。

  阿字の子が 阿字の古里 立出でて 又立返る 阿字の古里
  (あじのこが あじのふるさと たちいでて またたちかえる あじのふるさと)

 阿字とは、大日如来を表す「阿」の字、という意味で、つまり大日如来のこと。この歌は、「大日如来の子どもが、大日如来の故郷からやってきて、また大日如来の故郷に帰っていく」という、密教の死生観を端的に表している。

 大日如来は、真言宗では、「森羅万象」「宇宙のすべて」、あるいは「いのち全体の循環そのもの」を象徴する存在だ。

 環境破壊は、「いのち」の循環を止めてしまう。「どうせ死ぬ」私たちは、いつか死ぬからこそ、還るべき「阿字の古里」を大切に守っていかなければならない。

2007年10月21日 坂田光永


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