仏 教 と現 代
千の風になるとして
2007年のCDヒットチャートは、テノール歌手の秋川雅史氏が歌う『千の風になって』のダントツ1位で幕を閉じた。いや、幕は閉じるどころか、紅白歌合戦の効果でさらに売り上げが伸びているようだ。
この歌が一般に話題になったのは、1年前、2006年の紅白歌合戦で秋川氏が歌ってからだった。それ以前から、阪神大震災関連のチャリティコンサートで歌われたり、学校で合唱曲として用いられたりしていた。
では、そもそもはどういう歌なのだろうか。
もともとはアメリカ合衆国の詩、通称『Do not stand at my grave and weep』がもとであるという。原詩の作者は不明であるが、アメリカ女性メアリー・フライの作だという説もある。9/11のテロ事件の追悼集会で歌われたりもしている。これに、小説家・シンガーソングライターの新井満氏が、日本語での訳詩を付け、自ら作曲を務めたことにより、「歌」となった。
『千の風になって』は、2003年8月と9月の2度にわたって、朝日新聞の天声人語でも取り上げられている。
天声人語は、テロ事件で亡くなった青年が手紙とともにこの詩を両親に託していたというエピソードや、アメリカでのマリリン・モンローの25回忌でこの歌が朗読された出来事を紹介している。そして、「愛する人を亡くした人が読んで涙し、また慰めを得る。そんな詩である」と紹介している。
ところで、この歌がこれほどの共感を呼んだのは、どうしてだろうか。もちろん要因は一つではないだろうが、歌い出しの歌詞が「私のお墓の前で泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません」でなければ、ここまでの広がりはなかったと思う。
この歌い出しに、仏教関係者の中ではかなり抵抗感が根強い。「お墓に眠ってないのなら、お墓参りなんかしなくていいことになってしまうではないか」と、お坊さん方は一様にご立腹だ。「千の風になるのではない、浄土に行くのだ、とはっきり言わなければならない」と主張する仏教者もいる。
ただ、個人的には、単純に「間違ってます!」で済むのだろうか、という気持ちもある。
第一に、この歌を大切に思っている人は、決して人の死を軽んじているわけではない。むしろ大切な人の死に打ちひしがれ、この歌を支えとして、大切な人の死にようやく向き合えた人たちだ。その人たちから、安直にこの歌を奪うわけにはいかないだろう。
第二に、この歌詞には、日本の民俗信仰にも通じるアミニズム的な要素が含まれている。死後も魂はすぐ近くにあり、自然に同化しているというのは、まさにアミニズムだ。こういう死生観は、日本仏教が長らく軽んじてきた、というより、どう位置付ければよいか分からず黙殺してきたのではないだろうか。
第三に、お墓参りに関する変な強迫観念の反動であれば、それはよい傾向ではないかと私は思う。テレビでズバリ言うことで話題の占い師の影響で、最近とくに「お墓を参るときに○○してはダメって聞くんですが、どうなんですか?」という類の質問を多く受ける。その大半は、どちらでもよいことだったりする。こういう風潮が、『千の風になって』の影響か、少しおさまった。よい傾向ではないか。
もちろん、詩が描くイメージが、そのまま私の死生観と合致するわけではない。
しかし何より仏教者のはしくれとして、墓地にしがみついた葬式仏教のあり方が問い直されているという自覚は持ちたいと思う。葬式仏教は、葬式後も死者の魂を言わば「人質」として墓地にしがみつけて存続してきた。そのことに対する緩やかな問題提起であれば、甘んじて受けたいと思うのだ。
2008年1月21日 坂田光永
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