法話集

生かされて、春夏秋冬

 高野山本山布教師会が編纂されました『弘法大師聖語法話集 永久のことば』(平成26年11月発行)に、故・坂田義章の法話が掲載されましたので、転載させていただきます。


   春

 みな様、よくお参りになりました。今日は父の供養のため四国路に初めて出た時のお話をさせてください。

 三日目の行程で足擢の椿のトンネルをくぐって岬の厳頭に立った時、弘誓(
ぐぜい)の海が漫々ときらめいていました。と、怒涛の彼方から「舩の棹(さを)とるもすつるも法(のり)のさた山」と聞こえてきます。観世音利生の霊性か、六塵説法のお大師さまか、はたまた遷化(せんげ)した父の声か・・・、私はしばし瞑想に耽りました。そして、次第に気づかされました。

 私はこれまで、沖縄特攻出撃での不時着水に、挫折をかかえて生きてきました。でも、この生は、お大師さまのご加護だったと。阿字の子として生きよという、お大師さまの大慈、大悲の思召しによって生かされて来たと。

 そして、この気づきもまた、父への供養になることでしょう。

 どうかみな様も、いま生かされている事を法縁として、お大師さまの報恩に生きていただきたいと思います。

  踏み行きし大師
(ちち)の跫音(あしおと)包みつつ 潮の遠鳴る春の足擢


   

 今日は、ハスのお話です。ハスは蓮華の三徳と申し、仏さまにお供えする花の中で最も尊ばれています。

 第一の徳は「汚泥不染」(
おでいふせん)の徳です。蓮華は泥沼の中で泥に染まずに美しい花を咲かせます。真言宗の『理趣経』の中に「如蓮体本染 不為垢所染」(じょれんていほんぜん ふいこうそぜん)と、蓮の花にたとえて人間は本来清浄な仏であり、その仏心の自覚と精進によって濁世に美しい蓮華の開花が誓願されております。

 第二の徳は「花果同時」(
かかどうじ)の徳です。蓮華は花が咲いた時はすでに実ができているのです。お大師さまは「迷悟我にあれば発心すれば即ち到る」との「即身成仏」の教えを説かれています。蓮華は如実にお大師さまのみ教えをあらわしています。

 第三の徳は「種子不失」(
しゅしふしつ)の徳です。施しあい、愛語を語りあい、相手の心になってつくしあう、善根の種まきをハスは教えてくれます。

  これみよと示すはちすの一もとの 汚れにしまぬ心ともがな

 道歌の一首です。

 みな様も、ハスの沈黙の説法に心を傾けながら、この夏をお過ごしいただければと思います。


   

 よくお参りになりました。紫の竜胆(
りんどう)の花が、心地よい秋の風をさそってくれます。

 さて、「虚往実帰」(
きょおうじっき)という言葉があります。この言葉はお大師さまの恵果和尚への追慕からうまれた言葉であります。体から滲み出た思慕の言葉でありましょう。不安な気持ちをもって訪問しますが、その気分が相手によってほぐされ、満ちたりた心になって帰宅するという意味です。

 「挨拶」(
あいさつ)というこの言葉も、相手に近づいて引き出すという意味を持った仏教語です。心のこもった「挨拶」も「ほほえみ」も、そのぬくもりや優しさが、相手の心を包み込むものです。

 みなさんが、子ども達に語りかけたり叱る時はどうでしょう。子どもとはいえ、ちゃんと、大人の心の窓を見てとりますよ。

 私達は、お大師さまの「虚往実帰」の体験の如く、思いやりの心、感謝の心で、日々、言葉をつむいでいきたいものです。

   倖せはちゅうくらいなり竜胆の 花の傍へに日ざし浴びゐる

 では、足もとに気をつけてお帰りください。


   

 寒い日が続きましたが、みな様、お元気でしたか。

 お釈迦様は「天井天下唯我独尊」「天にも地にも我一人」と申されました。この言葉は大変意味深い言葉で甚深微妙であります。「人の一生は、人それぞれに素晴らしい人生で、かけがえのないものですよ。広い宇宙の中でたった一人の自分であることを自覚しなさい」という意味にうけとっております。

 人として生まれて来たことは、普通ごく自然の事のように思っておりますが、よくよく考えてみますと、大変なことなんですな。

 さて、お大師さまは、「仏法遥かにあらず、心中にして即ち近し」と説いておられます。私達は、かけがえのないこの自分の中に、仏になるという素晴らしい価値あるいのちをいただいておるのです。

 みな様、「南無大師遍照金剛」と「御宝号」を念じましょう。そして、知恵と慈悲の道を実践いたしましょう。そこにいのちを生きる真実の道があるのではないでしょうか。

   南天の赤い瞳が黙語する 燃ゆる思ひは遠からざる春

 では、くれぐれもご自愛ください。

高野山本山布教師 坂田 義章
南無大師遍照金剛 合掌




《過去掲載分》

○ 2013年9月21日「阿闍梨 義章 追悼の文」
○ 2012年1月1日「足摺岬」
○ 2011年1月1日「春遠からじ」
○ 2010年4月21日「春の心」
○ 2010年1月21日「到りうべしや」
○ 2010年1月1日「春遠からじ」
○ 2009年9月23日「禽獣卉木 皆是法音」
○ 2009年6月21日「仏道遥かに非ず」
○ 2009年1月1日「何かが忘れられている」
○ 2008年10月28日「鳳仙花燃ゆ」
○ 2008年9月21日「鳳仙花揺るる」
○ 2008年7月28日「微笑の灰」
○ 2008年2月21日「日はまだ暮れず」
○ 2008年1月2日「見られている」
○ 2007年10月21日「桜池院前官追悼詠草」
○ 2007年9月21日「おかげさまで」
○ 2007年7月21日「到りうべしや」
○ 2007年3月21日「おかげさま」
○ 2007年1月1日「私達の忘れ物」
○ 2006年8月23日「くちなしの花」
○ 2006年7月21日「露の法音」
○ 2006年4月21日「負い目」
○ 2006年1月1日「別事無し」
○ 2005年8月21日「秋風蕭蕭(しょうしょう)」
○ 2005年7月21日「ハスの花」
○ 2005年6月21日「賽の河原の地蔵和讃」
○ 2005年1月1日「一期一会」
○ 2004年9月21日「仏法遙かにあらず」
○ 2004年3月21日「リンゴの気持ち」
○ 2004年2月21日「ふうせんかづら」
○ 2004年1月21日「心の師」
○ 2003年10月21日「百日紅の花」
○ 2003年8月21日「露団団」




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