仏 教 と現 代

妖精に出会う

 私の友人の画家・新川佳代さんが、ホームページを開設されました。

  Fairyland 〜フェアリーランド〜 http://www.geocities.jp/yousei_kayo/

 ご覧のとおり、佳代さんの絵には妖精が登場します。どうして「妖精を書くの?」と聞かれることが多いとか。本人はこうおっしゃっています。

 よく、「なぜ居もしない妖精や小人なんか描きたいのか」と聞かれることがあります。なぜでしょう・・・好きだから・・・???そこに思いを馳せている間、とても幸せだからかもしれません。
 私は妖精や小人たちに実際に会ったこと(見たこと)はありません。ただ、植木や花壇、道端の草花などを見ていると、なんとな〜く妖精が座ってたり、かけっこしたり、小人が葉っぱの陰から顔を覗かせてくれていたりするような気がしてくるのです。っていうか、そうやって植物の陰から微笑みかけてくれてると思うと心が「ほわ〜ん」ってなって嬉しいじゃないですか*・゜(●´∀`●)ホェ:*・゜
「ひとりぽっちじゃないんだな〜」なんて思ったりします。 (Diaryより)


 妖精がいるかいないかは別として、妖精がそばにいると感じることで、なんだか癒されるような気がしますね。

 19世紀ごろの画家に「妖精画家」という人たちがいます。もちろん彼らの描く妖精は、どちらかというとグロテスクで、あまり癒されるものではなさそうです。ただ、妖精を描く心理は同じかもしれません。自分の分身、というか、自分のどこか欠けている部分を妖精が埋めているのかもしれません。

 アイルランドなどに伝わるケルト神話には、たくさんの妖精や小人がでてくるそうです。これらは、一説には、被征服民族の民族的な記憶、あるいは異教の神や土着の神が神格を剥奪されたものではないかといわれているようです。さらに、社会的に差別されたり追放されたりした人々を表現しているとも。歴史的な視点からも、やはり現在の自分たちのどこか欠けている部分を、妖精や小人が埋めているようです。

 仏教の曼荼羅にも、仏や菩薩、明王、神様から化け物にいたるまで、たくさんの「異界の存在」が描かれています。これだって同じことなのかもしれませんね。人間が描くわけですから、きっと私たち自身に、そのわけが隠されているはずです。

 私たちは自分の心を完全に理解できるとは限りません。また、心がいつも満たされている人など少ないでしょう。どこかぽっかりと空白があったり、何かに追われて自分の気持ちを忘れていたり、抑圧したり、過剰反応したりしています。

 そんなとき、妖精の力を借りてみましょう。本当の自分を少し取り戻せそうですね。

2008年2月28日 坂田光永


《バックナンバー》
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○ 2007年4月21日「空海の夢」
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