仏 教 と現 代

グリーフレス中学生


 遅ればせながら『ホームレス中学生』を読んだ。もともとお笑い芸人の「麒麟」は好きだったし、筆者の田村クンのホームレス時代のエピソードも若干は知っていたが、それで読まずに分かったつもりになっていた自分を恥じ入った。不謹慎ながら、実に面白かったです。恐れ入りました。

 彼のホームレス時代のエピソードもさることながら、興味深かったのは、ホームレス状態を脱したあと、友人の母親の死に触れたときのエピソードだった。

 田村クンは10歳の頃、母親を亡くしている。しかし、彼はその後ずっと「いつかお母さんは帰ってくる」と思っていたという。中学3年生になるまで、母親の死を受け入れていなかった。そして、母親が帰ってきたら、あれを話そうとか、これを話そうとか、真剣に考えていたというのだ。「最初はわかっていたが、認めたくないあまり、いつかひょこっと帰ってくるんじゃないかと信じこんでしまっていた」と、現在の田村クンはそう振り返る。

ハナイカダ。庄原市の福田頭山麓で藤井和子さんが撮影されました それがくつがえるのが、ホームレス状態の彼を世話してくれた友人の母親が亡くなったときだ。

 友人の母親のお通夜に出席して、周りのみんなが泣いているのを見て、初めて気がついた。みんな、悲しいから泣いているのだ。大好きなおばちゃんにもう会えないからだ。「死ぬ」ということは「もう会えない」ということなのだ、と――。

 その瞬間、田村クンはお母さんの死を初めて実感したのだ。そこから田村クンの正念場が始まる。ホームレス状態を耐え抜いた彼だったが、母親の死に直面した「いたみ」に耐えるのはそれよりもずっと大変なことだった。

 私はこのエピソードを読みながら、これが「グリーフワーク」というものか、と思った。

 グリーフケア、グリーフワークなどの言葉は、今や現代仏教ギョーカイの頻出単語になっている。グリーフとは「悲嘆」と訳される。単なる悲しみではなく、身近な人の死や喪失を体験したことによる強い「いたみ」をともなうものだ。この悲嘆を段階的に体験していくことが「グリーフワーク」であり、その悲嘆体験を手助けすることが「グリーフケア」である。混同しやすいが、遺族本人の行為が「グリーフワーク」、それを手助けする行為が「グリーフケア」である。

 「葬儀や法事は重要なグリーフワークの場である」とか、「仏教者はグリーフケアを行う立場にある」などと言われる。私もそう考えており、葬儀の後の「七日勤め」は、遺族が身近な人の死と向き合い、気持ちに整理をつけていくための段階的な儀式として、重要だと思っている。

 しかし、田村クンのケースは、そういう画一的な段階が意味をなさなかった事例だろう。幼少であれば仕方のないことかもしれない。でも、いつまでもグリーフワークを経験しないまま大人になれば、それはそれで、いつかきっと心に無理が生じるのではないだろうか。

 むしろ彼は、ホームレスという極限状態を経験したことで、グリーフワークを受け入れるだけの精神的「強さ」を手に入れたというふうに考えてもいいかもしれない。精神的にたくましくなった、よし、グリーフワーク準備完了、というところに、友人の母親の死がきっかけを与えてくれたのかも、と思ったりもする。

 もちろん、葬儀や法事のグリーフワーク的な要素を否定する気は毛頭ない。でも、心にとどめておきたい。悲しみは個人的な体験であり、グリーフの段階はそれぞれの状況に合わせて訪れる、ということを。私たち仏教者は、グリーフを当然視したり、ましてや強要したりしてはならないのだ、ということを。

2008年7月21日 坂田光永


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