仏 教 と現 代
神秘主義
身の回りに本を出版したことがある人物を探してみると、そう多くはないが、たまにいるものだ。この間も、鈴木大拙著『神秘主義』を日本語に訳したという方と、偶然お話をする機会があった。
鈴木大拙は近代仏教者の頂点に位置する人で、僧侶ではないが、ある意味、当時の僧侶たちよりもはるかに仏教の神髄に近づいた人だ。また、東洋思想を西洋に積極的に紹介した人物でもあり、この『神秘主義』ももともとは英語で出版されていた。私がお会いした方が「日本語に訳した」というのは、そういうわけである。
これはいい機会だと思って、私はその『神秘主義』を注文し読んでみた。けれども、これがさっぱり手に負えない。キリスト教神秘神学者エックハルトがいかに大乗仏教の境地に近いことを述べているかについて、古今東西の様々な文献を基に論じてある(と思う)のだが、私にとっては実に難解で、どうも頭がついていかない。
「相対性は現実の一面で、現実自体ではない」
「絶対的自己は、相対的自我の中に映った自らを見るために、相対的自我を創り出すのだ」
「達成できぬものがなければ、達成でき得るすべてのものは、達成できるものではなくなるであろう」
むむ〜っ、頭痛が…。というわけで、まだ最後まで読み切るに至っていない。
とはいえ、いくつか発見があったのも確かだ。そのひとつは、「鈴木大拙という人は、いったいどれだけ本を読んでいるのだ!?」ということである。おいおい、本の内容に関することじゃないのか、と思われるだろうが、そこはご容赦を。とにかく、自身の論説を裏付けるために、膨大な数の文章を引用していることに驚く。それはエックハルトのドイツ語文献から中国の古典(漢文)にまで至る。この本に引用された原典を読むだけで、私たちが一生かかっても難しいほどの、すさまじい量になる。
この本を日本語訳した先の人も、そのことを話していた。実は彼の当初の役目は、鈴木大拙がどの原典から引用したのかを探し出し、そこから該当箇所を見つけて訳すことだったというのだ。何しろ大拙は、原典の漢文をいったん英訳して著わしている。その英文をもとに、原典の漢文を探すというのだから、なんとまぁ途方もない作業だろうか。旅人が持ち帰った虫の抜け殻を頼りに、生きた虫を捕まえにジャングルに入るよりも、はるかに難易度が高そうだ。私の目の前にいるこの人物も、負けず劣らずすごい頭脳なのだろう。
私たちが一生かかっても不可能そうな読書量を、近代の人々はこなしていた。どうしてそんなことができるのか。現代人は頭が悪くなったのか? 「というよりも、読書しかなかったのではないか」と彼は言う。私たち現代人のようにテレビを見たりゲームをしたりする時間を、近代の人々は持たなかった。時間の使い方の違いがあるのだろう。
そして彼は、「おそらく身近に死を頻繁に経験していたのではないか」と話す。一生は短い。不意に予期せず終わるかもしれない。生きている限り、できるだけの仕事を残そう。近代人の持っている「生のエネルギー」の原泉は、そういうところにもあるのだろうか。
先の引用ではないが、「死(の実感)がなければ、すべての生は、生ではなくなるだろう」ということか。
あ、なるほど、何だか意味が分かってきたぞ。
2008年9月21日 坂田光永
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