仏 教 と現 代
会津をめぐる
もともと坂本龍馬や中岡慎太郎ら尊王攘夷派びいきのくせに、NHK大河ドラマ「新選組!」以降、「にわか佐幕派」になってしまった私は、ついに先日、念願の会津若松めぐりをすることができた。
お目当ての一つ目は、新選組局長・近藤勇のお墓参りだ。
近藤の本当の墓は東京・板橋にある。会津のほうはというと、彼の髪の毛が納められているのだそうだ。会津出身ではない近藤だが、新選組が会津藩お抱えだったということで、藩主・松平容保が特別に据えたのだ。
案内に従って進むと、次第に歩くのに険しい山道になっていく。会津に攻め入る新政府軍に見つからぬように、山奥に据えたのだろう。雨も降ってきた。道がぬかるんで、しかもかなり肌寒い。お墓にたどりついた頃には、辺りが暗くなっていた。後日、会津の人に近藤の墓のことを話したが、「あそこは行くもんじゃないよ」とあしらわれた。
お目当てのもう一つは、白虎隊のお墓参りだ。
会津といえば白虎隊というぐらい、有名なのではないだろうか。幕末の戊辰戦争の際、新政府軍が会津に攻め入ったとき、迎え撃った部隊の一つである。彼らは、15〜17歳といういわば少年兵であったが、新政府軍の圧倒的武力の前に会津は敗れ、市中の火災を「鶴ヶ城が燃えている」と思い込んだ隊士19名が、自決して命を落としたのだ。
彼らが自決したのは、飯盛山という小高い山で、自決した場所には、今でも鶴ヶ城を眺める隊士の像がある。また同じく山上に十九人の墓も据えられ、少し離れて、自決の後生き残った飯沼貞吉(後の貞雄)の墓もある。
私は新選組や白虎隊にまつわるエピソードに触れるたびに、いつも複雑な思いに駆られてしまう。彼らの死を美談として聞いてもいいのか。「命をかけて戦った忠君愛国の士」というふうにまとめるのは、あまりに稚拙ではないか。
江戸時代は武士の時代だというが、いわゆる「武士らしい武士」がどれぐらいいたかというと、はなはだ疑問だ。貧しさの故没落して用心棒として身をやつす武士もいれば、廃業して商売を始める武士、半農半武士みたいなのもいただろうと思う。また豊かな武士もすぐさま腐敗し、武士道とは無縁の形式的な支配者となった「役人ざむらい」が、権力をふりかざしていた。現実に、彼らのメシを調達する百姓が全人口の80%以上をしめていたわけで、私たちのイメージする「武士らしい武士」など、ほとんどいなかったのではないかと思う。
しかし幕末、武士の世はガラガラと音を立てて崩れ始めた。私は実に興味深いと思うのだが、そんな時代に、新選組や白虎隊は「武士らしい武士」として現れたのだ。彼らは正統な武士だったのだろうか。新選組の近藤や土方は、実は百姓出身だ。白虎隊は武士として経験のない少年兵である。つまり、彼らは武士支配が崩れるまさにその瞬間に登場し、時代の流れを必死で食い止めるために「武士とはこういうものではないだろうか」という理想を演じようとした、矛盾に満ちた存在なのではないだろうか。
だからこそ哀しいし、だからこそ美談ではだめだと思う。
それを後の人が、勝手に自分の理想を託してしまう。だから、白虎隊で一命をとりとめた飯沼は、つらかっただろうと思う。「死に損ないめ!」と後ろ指を差されただろうと思う。また、命を落とした19人以外にも白虎隊士は290名ほどいるというのに、彼らが顧みられることはない。
近年も、特攻隊や戦艦大和の隊員が美談として語られているのを聞くと、とても複雑な気持ちになる。私の祖父は特攻隊の生き残りだが、自らを「死に損ない」と称している。美談とは無縁の、みじめで、孤独な経験と、今も格闘を続けている。特攻隊を美化しようとする人々からすれば、きっと厄介な存在に違いない。でも、そういう現実を捨象した「美談」など、あってはならないと思うのだ。
とはいえこういう私も、ある意味、彼らの死に過剰に意味付けをしようとしているのかもしれない。
人の死を美化してはいけない。その人の死を、その人の生をありのままに受け止めたいと思う。
2008年10月28日 坂田光永
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