仏 教 と現 代

アイアム・ブッディズム・プリースト


トロントのチャイナタウン 3月末に、カナダのトロントに旅行に行きました。

 トロントというのは、世界でも有数のマルチカルチャラル(多文化)な都市です。チャイナタウン、コリアタウンからリトルイタリー、グリークタウン(ギリシャ人街)まで、ありとあらゆる民族が、自分たちのオリジナリティを残しつつ、トロント市民として生活しています。いわば移民都市です。そして、その特徴は、移民にとても手厚いケアがあること、ゆえに移民同士の対立や少数民族の抑圧が少ないことが挙げられます。

 そんな街なので、留学生も多いわけで、実は私の友人もトロントに通訳の勉強のために住んでいます。今回の旅行の宿は、この友人が自分の住んでいるシェアハウスの空き部屋でした。

 このシェアハウスの住人は、日本人が2人と、イタリア人1人です。このイタリア人の女性というのが、実に好奇心旺盛で面白い人でした。私が「アイアム・ブッディズム・プリースト」(私は仏教の僧侶です)と拙い英語で自己紹介をすると、マシンガンのように次々と質問をしてきました。

 「なぜ日本から来た学生は、自分たちの国の宗教のことを説明できないんですか? 誰に聞いてもきちんと教えてくれないのはなぜ!?」

 「仏教とは簡単に言うとどんな思想を持っているのですか?」

 「ブッダは神ですか?」

 彼女はローマ・カトリックの熱心な信者で、他の宗教に興味があったのです。日本にいると、こんなに根本的な質問は、めったに受けません。正直、私はこういうのが大好きで、思わずスイッチが入ってしまいました。

 私は知っている英単語を駆使して、日本仏教のことを説明しました。…日本ではいくつもの宗教が融合(フュージョン)しています。だから、どこから仏教、どこから神道、どこからアミニズム、などと分けられません。日本では長らくその状態が続き、日常生活で宗教を意識することがあまりありません。日本の人が仏教について説明できないのは、そのせいだと思います。また仏教は、すべての物事がつながっていると説きます。その「つながり」を理解し、体感できた人を、「悟った人」=ブッダと呼びます。だから、ブッダは神ではなく人間です…

 彼女のリアクションも面白かったですね。私が「日本の人は、葬儀は仏教式、結婚はキリスト教式でします」というと、彼女はマンガか映画のように「信じられない!」と驚いていました。また、私が「すべてのものには“いのち”がある」と言うと、ペットボトルを机の上にドガッと置いて「これにも“いのち”があるの?」と聞き返したりもしました。

 途中、通訳の勉強をしている日本人の人に翻訳もしてもらいましたが、仏教用語を翻訳するのは難しいのですね。結局、私でも知っているようなわかりやすい英単語を使って、なんとか説明しなければいけませんでした。そのことが結果的に、「仏教をどうすれば分かりやすく説明できるか」ということの勉強にもなりました。

 話はその後、宗教戦争や政治・経済のことにまでおよび、最後はイタリアや日本での移民事情について意見交換をするという、思いもよらない展開に。まさに国際交流の神髄のような、濃密な時間でした。

 よく「子どもに説明すると勉強になる」と言われます。シンプルに、分かりやすい言葉で、相手に伝わるように説明するには、本当にそのことをしっかり理解していなければできません。外国人というのは、ある意味、子どもよりも難しいかもしれません。そのぶん、とてもよいチャンスになると思います。

 今回のできごとは、私にとって、頭の中身をバシャバシャと洗ったような気持ちよさがありました。こんな経験をできる幸運を感謝しなければいけませんね。

2009年4月21日 坂田光永


《バックナンバー》
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○ 2009年1月21日「『伝道師』としてのオバマ」
○ 2009年1月1日「空と海をつなぐ」
○ 2008年10月28日「会津をめぐる」
○ 2008年9月21日「神秘主義」
○ 2008年7月21日「グリーフレス中学生」
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○ 2008年4月21日「聖火の“燃料”」
○ 2008年2月28日「妖精に出会う」
○ 2008年1月21日「千の風になるとして」
○ 2007年10月21日「阿字の子が阿字の古里…」
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○ 2007年6月21日「昔のお寺がそのままに」
○ 2007年4月21日「空海の夢」
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○ 2007年2月21日「よみがえる神話」
○ 2007年1月1日「伊太利亜国睡夢譚」
○ 2006年11月21日「仏教的にありえない?」
○ 2006年10月23日「天使と悪魔 〜宗教と科学をめぐる旅〜」
○ 2006年9月21日「9/11から5年」
○ 2006年8月23日「松長有慶・新座主の紹介」
○ 2006年7月21日「靖国神社と仏教の死生観」
○ 2006年6月21日「捨身ヶ嶽で真魚を見た」
○ 2006年5月21日「キリスト教と仏教と「ダ・ヴィンチ・コード」」
○ 2006年4月21日「最澄と空海」
○ 2005年9月23日「お彼岸といえば…」
○ 2005年7月21日「お盆といえば…」
○ 2005年4月21日「ねがはくは花の下にて春死なん…」
○ 2005年3月21日「ライブドアとフジテレビと仏教思想」
○ 2005年1月21日「…車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように」
○ 2004年8月21日「…私は、知らないから、そのとおりにまた、知らないと思っている」
○ 2004年7月21日「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」
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○ 2004年1月21日「現代の世に「釈風」を吹かせたい ―心の相談員養成講習会を受講して―」
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