仏 教 と現 代
臓器移植と「いのち」の定義
先日、衆議院で臓器移植法の改正法が成立しました。
これまで日本は、世界的にみると臓器移植には慎重な国の一つでした。
そのため日本では、臓器移植を受けたいと希望する多くの患者がいるにもかかわらず、それに応じる臓器の提供者数が著しく少ないため、日本の患者の多くが外国へ渡航し、そこで多額の費用を払って臓器の提供を受けているという状況がありました。
しかし、最近では、渡航先の国々から、日本に対する苦情がたくさん寄せられているらしく、世界保健機関(WHO)は、日本国内で臓器提供希望に対応できるような体制を整えて欲しいという勧告を、日本側にしていたのだそうです。
そこで今回、国会内での議論の結果、次のA〜Dの4案が出てきました。
臓器提供者の年齢要件 | 臓器提供の意思確認要件 | |
現行法 | 15歳以上 | 「本人の意思表示があり、家族が拒否しない」また は「本人の意思表示があり、家族がいない」 |
A案 | なし | 本人の意思表示がなくても、家族の同意があれば可能 |
B案 | 12歳以上 | 現行法と同じ |
C案 | 15歳以上 | 現行法と同じ(ただし脳死判定基準を明確化) |
D案 | なし | 15歳以上は現行法と同じ、15歳未満は本人の意思がなくて も家族の同意などがあれば可能 |
これでいくと、いちばん臓器移植に積極的な案はA案ということになります。
そして、ご存知の通り、先日の衆議院で可決成立した改正案は、A案でした。
臓器移植を待つ人々にとっては朗報となりました。しかし、議論がじゅうぶんになされたかどうかについては異論もあります。今後、現場の混乱も予想されます。
この問題に関して、実は地元の国会議員さんが、一斉メールで事前に意見を聞いてくださいました。私自身、A〜Dのどれを選ぶのか、迷いました(最終的にB案を推しましたが、決めかねたというのが正直なところです)。
ただ、今回、本当に大きな課題だと思ったのは、私たち宗教に携わる者が、この問題について本当に真剣に議論し、現場で格闘したのか、ということでした。
「日本人の死生観は欧米とは違う」という宗教者が、はたして日本人の死生観をきちんと定義できるのか? 死生観の定義、それはすなわち、「いのち」の定義であるわけです。それを、「いのちの現場」に立っているとは言い難い私たちのような「葬式坊主」が、気安く定義できるとは思えませんでした。
そうは言いながら、少なくとも何かの言葉は発しておかなければいけないと思い、先の国会議員さんにも返信をしました。皆さんにもご覧いただき、ご意見をお寄せいただいたらと思います。
私が書かせていただいたものをまとめると、次のようなことです。
◆(1)日本の死生観 まずは、日本の死生観を整理したい思います。(そんな悠長なことを言っている場合ではないかもしれませんが) 一般的に、死生観を分類すると、次の3つに分けられると思います。 イ.次のいのちに生まれ変わる(輪廻転生) ロ.霊魂が別の場所にいく(カトリックの“約束の地”、浄土思想、先祖崇拝など) ハ.科学的死生観(“無”に帰す、“霊魂”は存在しない) これでいうと、日本の“民俗的”死生観は「ロ」です。「イ」かとも思いますが、仏教はインド出身の外来宗教であり、宗教学的には「輪廻転生はもともと日本にはなかった」と言われています。 しかし、日本の土着の死生観と仏教思想とが融合し、それに時代の変化も伴って、矛盾をはらみながら、曖昧な現在に至る、というのが正しい言い方かもしれません。 つまり、ひとえに宗教者(特に仏教者)の怠慢が、日本の死生観を曖昧にしてきたといえるでしょう。 ◆(2)私の死生観 仏教の宗派の多くは「臓器移植は慎重に」という意見です。それは「科学の暴走を嫌う」というだけの動機ですから、はっきり言って思考停止です。まるで最近の映画「天使と悪魔」のような構図になっています。 しかし、仏教は本来、「執着を捨てる」という思想ですし、真言宗は「いのちはつながっている」という根本理念を持っています。ですので、 ○自分の肉体への執着を捨てる → 臓器を提供してもよい ○いのちのつながり → 臓器提供によっていのちがつながる という考え方も、あながち仏教に反しないのではないか、と思っています。 要するに、仏教界では、この議論は突き詰められていないのです。医療、政治に携わる人に比べ、仏教者がこの問題について発言する時の「切実感の無さ」については、本当に情けないと思っています。 比喩としてどうかとは思いますが、それこそ「身を切る覚悟」がない発言は、聞くに値しない。批判を受けない立場で何を言っても、当事者には届かないですよね。おっと、これは宗派内の問題ですが… ◆(3)で、どうなの? とはいえ、科学的な研究はまだ途上だと思います。 臓器提供を受けた人の中には、ドナーの性格を引き継いだりするという、不思議な現象を聞いたこともあります。 また、ドナー登録が一般化していないのに、急に臓器提供を求められて、悲嘆に苦しむ家族がますます混乱する、という状況もあるかと思います。 急速な改正をしてしわよせがくるのは、結局はドナー本人とその家族、あるいは提供を受けた本人だと思います。 臓器提供の考え方そのものは私は肯定的ですが、変化のスピードを早めることは、いろいろなしわ寄せを生むのではないかと思っています。 ですので、ニーズには対応しつつ、急速には変えずに、ということで上記の答え(B案)を選びました。 そして、宗教者、特に多くの葬儀を執り行う仏教者が、悲嘆に苦しむ家族とのかかわりのなかで、臓器提供問題の「当事者」として携われる態勢を、はやくつくっていけたらと思います。 |
大急ぎで書いたものですし、多分に迷いを含んでいるためまとまっていないので、ちょっとだけ補足させてください。
初めにまとめた死生観(イ〜ハ)のうち、では私はどの死生観の持ち主なのかということです。
私の答えは「全部」です。
それはズルイ! と思われるでしょう。たしかにズルイ。でも、私にとっては、すごくしっくりきています。
私はこう思っています。自分のいのちは肉体そのもの。肉体が死を迎えたら、すなわち土に還れば、肉体の材料はこまかく分解される。それが虫や植物の栄養となり、その虫や植物を動物が食べ、その動物をまた別の動物が食べ、それらの植物や動物を人間が食べるかもしれない。つまり、いのちは廻り、循環する。その循環が「輪廻転生」であり、死して還る場所が「浄土」である。よって、この考え方は、科学的死生観と何ら矛盾しない。
私の「いのち」の定義は、今のところ、こういうものです。あくまで今のところです。もっともっと生と死の現場に向き合って、きちんと答えを出していけるように、精進を続けたいと思います。
2009年6月21日 坂田光永
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