仏 教 と現 代
臓器移植と「いのち」の定義 続編
前回、「臓器移植と『いのち』の定義」について書かせていただきました。しかし、実に不十分な内容で、しかも「『いのち』の定義」に関してはほとんど書かれていないことに気づきました。ですので今回は、その補足をしながら、この問題をもう少し掘り下げてみたいと思います。
2009年7月13日の参議院で審議されたのは、下記のA案(衆院通過)と、修正A案でした。
臓器提供者の年齢要件 | 臓器提供の意思確認要件 | 死の定義 | |
現行法 | 15歳以上 | 「本人の意思表示があり、家族が拒否しない」また は「本人の意思表示があり、家族がいない」 |
本人が書面で明記していない限り、脳死を人の死としない |
A案 | なし | 本人の意思表示がなくても、家族の同意があれば可能 | 脳死は人の死 |
修正A案 | 〃 | 〃 | 臓器移植の場合のみ脳死は人の死 |
B案 | 12歳以上 | 現行法と同じ | |
C案 | 15歳以上 | 現行法と同じ(ただし脳死判定基準を明確化) | |
D案 | なし | 15歳以上は現行法と同じ、15歳未満は本人の意思がなくて も家族の同意などがあれば可能 |
現行法、A案、修正A案の違いは、「人の死」の定義に関してです。
現行法では、ドナーカードなど本人の書面で意思を明記していない限り、脳死を人の死としていません。一方、A案は、脳死を人の死として明記しています。衆議院では、このA案が可決されました。
これに対し、参議院では「臓器移植場合のみ」脳死を人の死と定義した「修正A案」が提出されました。
しかし、可決したのは、衆議院と同じA案でした。これで、「脳死は人の死である」という定義が、いちおう法律で明記されたことになります。
このことが医療現場にどのように反映されるのか、私も詳しくは分かりません。今回の法改正が現在、脳死状態の人への「死亡宣告」になるのかどうか。また、家族が脳死判定を拒否する権利は与えられていますが、もし脳死と判定された場合は、それが死亡診断ということになるのかどうか。あるいは殺人罪の定義なんかにも影響するかもしれません。分からないことはたくさんあります。
一方、ドナー不足の深刻さに目を向けると、また違った見方もできます。海外では救われるはずの命が日本では救われない。世論も冷淡で、必死で寄付を集めて海外に渡航しても、移植が受けられるかどうかは分かりません。助かるのではないか、という思いを残しつつ、失われていく命がたくさんあります。後悔を残して消えていった命について、私たちの想像力は遥かに欠如していると言わざるをえません。
ともかく、今回の改正を機に、改めて臓器移植について考えた人は多いでしょう。「本人の意思がなくても…」という部分に引っかかった人が、ドナーカードを記入するきっかけになるかもしれません。私の間接的な知人も、「臓器提供は嫌なのでドナーカードで拒否を明記した」とのこと。臓器移植を拒否する権利は、もちろん保障されています。これを機に、ぜひ1人でも多くの人に「本人の意思」を明示してほしいと思います。
ところで、「死を定義する」とは、いったいどういうことなのでしょうか?
今回の議論の中で、「たかが1つの法律で死の定義を変えてもいいのか」という声がありました。「政治家ごときに死を定義してほしくない」ということでしょうか。
では、死を定義するのは、いったい誰なのでしょう? 医師でしょうか?
でも、医師の死亡診断書(死体検案書)は、法律的な裏付けがありますし、司法判断の根拠になります。医学的な「死」と法律的な「死」は、厳密には不可分だと言えます。
また、「昔から死=心臓死と決まっていたのに、それを急に変えるなんて、おかしい」という声もありました。
けれども、死の定義は時代によっても変わります。昔は、心肺停止になれば脳に血液がめぐらなくなり、おのずと脳死状態になりました。あるいは脳死になると当然、すぐに心肺機能も停止していました。心臓死や脳死が「全身死」(そういう言葉はありませんが)に直結していたので、定義について深く掘り下げる必要はありませんでした。
しかし、医療技術の発達で、心肺停止が即、脳死にはつながらないし、脳死が即、心臓死につながらなくなりました。その結果、心臓死や脳死と「全身死」とに乖離が生じてきています。そういう中で死亡宣告をしなければならない医師の方々には、大きな困難がのしかかっているのではないかと推察します。
翻って、私たち仏教の僧侶の多くは、「葬式仏教」と揶揄されつつも、実際に「死の現場」に直面している感覚は薄いものです。というのは、すでに医師の死亡診断が済んでいて、しかも司法的にも死亡の事実が揺るがないケースしか見ないからです。ホスピス(ビハーラ)の現場に携わっている僧侶以外は「看取る」ことすら滅多にありません。ましてや「自分が死亡宣告をしている」という自覚は少ないと思います。
葬儀の現場に立つ者として、それでいいのだろうか? そんな思いに付きまとわれます。
ある先輩僧侶は、こうおっしゃいました。「医学的にはすでに死を迎えていても、私たち僧侶は、葬儀の引導作法の瞬間が“死の瞬間”だと信じて、葬儀を執り行うべきだ」と。
何を無茶な、と思うかもしれませんが、いや、やはりそうあるべきではないか、と私も思います。
「死」とは、医学的な死、法律的な死だけではありません。人は社会とつながって生きています。社会との関係が切れて初めて迎える死(社会的な死)もあるはずです。遺族や親しい友人が「本当は死んでないのではないか」という思いに駆られながら、徐々に死を受け入れていく(心理的な死)というのもあるでしょう。人間を細胞の集合体と見なした場合、細胞ひとつひとつが機能を停止して、細菌や微生物によって分解されて、初めて「死んだ」とも言えます(生物学的な死)。「死」には様々な側面があり、だからこそ、様々な定義があってもよいのではないかと思うのです。
葬儀とは、その人の死を社会的に認知させるとともに、その人をとりまく人々が段階的に死を受け入れるための心理的作用があります。その葬儀に携わる僧侶が、葬儀をもって死を宣告するのだという確固たる信念を持つことは、むしろ必要なことかもしれないと思うのです。
同時に、「死」とは多面的であり、時間軸にも幅があることを知っておくことも大切です。死の定義を尊重すること、それはすなわち、「いのち」の定義を尊重することでもあるのですから。
2009年7月21日 坂田光永
《バックナンバー》
○ 2009年6月21日「臓器移植と『いのち』の定義」
○ 2009年5月21日「『地救』のために何ができるか」
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○ 2009年3月21日「おくりびとと『死のケガレ』」
○ 2009年1月21日「『伝道師』としてのオバマ」
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○ 2008年9月21日「神秘主義」
○ 2008年7月21日「グリーフレス中学生」
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