仏 教 と現 代

排他的?独善的!

 政権交代後、どちらかというと鳩山さんを中心とする閣僚たちがニュースの主役でしたが、11月10日の民主党・小沢幹事長の発言が珍しくニュースになりました。

 小沢さんはキリスト教に対して、「排他的で独善的な宗教だ。キリスト教を背景とした欧米社会は行き詰まっている」と持論を展開したのです。

 そのコメントのきっかけは、高野山金剛峯寺の松長有慶座主と高野山で会ったことがきっかけだったといいます。この日、私もたまたま高野山にのぼっていたのですが、高野山のある方は、「小沢総裁(?)が来た」と、高揚した様子でした。

 この発言、真言宗のお坊さんたちは小躍りして喜んでいるかもしれませんが、私にとっては2つの点で、実に不快なものでした。

 1つ目は、与党の最高実力者としての発言としては、オバマ来日のこののタイミングでは非常に痛いということです。アメリカが日本に多少なりとも注目しているこの時期に、このコメントが目にとまらないはずがありません。アメリカは、彼の考えが日本の外交政策に反映されることを考慮せざるをえません。

 「うちはどうせ排他的で独善的ですが、何か?」とまでは言わないでしょうが、普天間のことにもアフガンのことにも、露骨に悪影響を及ぼすことは間違いないでしょう。

 2つ目は、そもそもキリスト教が排他的・独善的で、仏教がそうではないと言い切れるのか?という点です。

 この考え方は松長先生の持論でもあるのでしょうが、どうなんでしょうか?

 松長先生の論はこうです。キリスト教は一神教であり、キリスト教が広まった地域では民俗信仰はことごとく消滅した。また、一つの真理しか認めないため、同じ一神教のイスラームなどと対立する。かたや仏教は多神教であり、仏と日本土着の神々とは共存している。だから日本には宗教戦争はなかった。

 この認識は正しいでしょうか? 私は間違っていると考えます。その理由はこうです。

 まず、キリスト教が欧米の民俗信仰を消滅させたのではないということです。

 ご存知の通り、欧米文化の源流の一つであるギリシア文明は多神教です。ゼウスやヴィーナスなど、たくさんの神々が登場します。また、もう一方の源流であるケルト系文化も、自然崇拝の多神教です。これらを消滅させたのは、はたしてキリスト教だったのか。答えは否。消滅させたのは、キリスト教を国教として利用したローマ帝国なのです。

 燎原の火のごときキリスト教の広がりを恐れたローマ帝国は、西暦325年ニケーア公会議、381年コンスタンティノープル公会議を経て、キリスト教を国教化して取り込むとともに、その一神教化を進めました。それは、ローマ皇帝に権力を集中させるのに好都合だったからです。そしてローマ帝国は領土拡大を進め、各地の文化・宗教を「ローマナイズ」していきました。

 このようにローマ帝国が他の文化を抑圧したのは確かですが、それでも、例えばスコットランドのセント・パトリクスデー、フィンランドのサンタクロース、あるいはハロウィンなど、各地に民俗信仰の名残が存在しています。各地の神々は、天使や聖霊の形を借りて残っているのです。その点は、日本のお盆やお彼岸が、民俗信仰の名残をとどめつつ仏教化しているのと似ています。

 また、一方の仏教は、多神教だから寛容で、宗教戦争もない、などと言えるでしょうか?

 浄土真宗は阿弥陀如来をただ念じます。日蓮宗は釈迦如来の「一乗」思想を重んじます。これらははたして多神教といえますか? 私は十分に、「一神教的な要素が強い」と言えると思います。

 それに、日本に宗教戦争がなかったわけでもありません。むしろ戦国時代は各宗が武装し、根来衆のように鉄砲を流通させたり、石山本願寺のように事実上の戦国大名として戦ったりしています。

 もちろん、そういう歴史を見るまでもなく、現実に欧米を訪れた人は分かるはずです。どこからどう見たら、ドイツやフランスより日本の社会が多様で寛容だと言えるのでしょうか? アメリカ社会より日本社会が個性的ですか?

 近代になって「仏教の持つ多様性」を再発見したのは、実はヨーロッパのニューエイジ運動でした。彼らはヨーロッパ社会の行き詰まりを謙虚に受け止め、仏教思想に注目しました。私はむしろ「欧米文化の懐の深さを知れ!」と言いたいです。

 「仏教=東洋」vs「キリスト教=西洋」を対立的に見るこの二元論こそ独善的であり、非仏教的ですらあります。小沢さんは無自覚に持論を展開しているだけなのでしょうが、それが相手に与える不快感を想像できないのであれば、それこそ排他的、独善的なのではないでしょうか。

 いたずらに宗教対立をあおるような排他的、独善的な偽仏教主義者には、仏教の「正見」、あるいは真言宗の「不二」の精神を叩き込んでいただきたいです。

2009年11月21日 坂田光永


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