仏 教 と現 代

排他的・独善的な仏教にならないために

 昨年11月10日、私が僧正参籠のために高野山に登ったその日、民主党幹事長の小沢一郎氏が、同じく高野山で後々話題となる発言をおこないました。

 「(キリスト教は)排他的で独善的な宗教だ。キリスト教を背景とした欧米社会は行き詰まっている」

 小沢氏のその発言は、その後キリスト教側からの撤回要求に小沢氏が再反論するという展開になり、波紋を広げました。

 与党の最高実力者を高野山に招かれた関係者の方々の尽力には敬意を表したいと思います。

 ただ、私たちはこの小沢氏の発言を喜んでいいのでしょうか。私はむしろ、その二元対立的な宗教観に強い違和感を持ったものです。

 このような二元対立論は昔から多く用いられてきました。その概要はこうです。キリスト教は一神教であり、広まった地域では民俗信仰はことごとく消滅した。また一つの真理しか認めないため、他の文化と対立する。かたや仏教は多神教であり、仏と日本土着の神々とは共存している。だから日本では宗教戦争がなかった。

 この認識は正しいでしょうか。

 確かに歴史の一端をひも解くと、カトリックでは激しい異端審問が行われていますし、欧米の帝国主義が世界を席巻した時代もありました。イスラーム社会との対立も見受けられます。

イタリアのサンピエトロ大聖堂 しかし、それらをすべて「一神教であるキリスト教」のせいにして、仏教の優位性に結びつけるのは、正しい認識とは思えません。

 まず誤解があるのは、キリスト教が欧米の民俗信仰を消滅させたのか、という点です。ヨーロッパの多神教文化を消滅させたのは、キリスト教というよりむしろ、キリスト教を国教として利用したローマ帝国なのです。

 燎原の火のごときキリスト教の広がりを恐れたローマ帝国は、西暦三二五年ニケーア公会議、三八一年コンスタンティノープル公会議を経て、キリスト教を国教化して帝国に取り込むとともに、聖書の編纂、異端の追放などの営みを通じて、その一神教化を進めました。そのほうがローマ皇帝に権力を集中させるのに好都合だったからです。そして帝国拡大の過程で、各地の文化・宗教を「ローマナイズ」していきました。

 このようにローマ帝国が他の文化を抑圧する過程で、キリスト教が利用されたのは確かです。それでも、例えばケルト由来のセント・パトリクスデーやハロウィンなど、各地に民俗信仰の名残が存在しています。各地の神々も天使や聖霊の姿を借りて残っています。クリスマスですら、ミトラ教の冬至の祭が源流だといわれます。その点は、日本のお盆やお彼岸が、民俗信仰の名残をとどめつつ仏教化しているのと似ています。

 では、一方の仏教は、多神教だから寛容で、宗教戦争もない、などと言えるでしょうか。

 浄土真宗は阿弥陀如来をただ念じます。日蓮宗は釈迦如来の「一乗」思想を重んじます。これらははたして多神教といえますか。私は十分に、「一神教的な要素が強い」と言えると思います。

 それに、日本に宗教戦争がなかったわけでもありません。むしろ戦国時代は各宗が武装し、根来衆のように鉄砲を流通させたり、石山本願寺のように事実上の戦国大名として戦ったりしています。

イタリアのサンタ・マリア・デレ・ヴィットリア教会の「テレザの法悦」 もちろん、そういう歴史を見るまでもなく、現実に欧米を訪れた人は分かるはずです。どこからどう見たら、ヨーロッパより日本社会のほうが多様で寛容だと言えるのでしょうか。日本の人々はアメリカの人々より個性的ですか。

 昨年、私が旅行で出会ったイタリア人は、敬虔なカトリック教徒でした。彼女は私が仏教の僧侶であることを知り、質問攻めにしてきました。「仏教を一言で言うとどんな教えですか」「ブッダは神ですか」。私は拙い英語で必死に話しました。

 私が「日本では多くの人が葬儀は仏教式、結婚はキリスト教式でします」と言うと、彼女は映画のように「信じられない」と驚いていました。また私が「すべての物には『いのち』がある」と言うと、ペットボトルを机の上にドガッと置いて「これにも『いのち』があるんですか」と聞き返すのでした。

 決して納得いく説明ではなかったかもしれませんが、それなりに感謝されました。「日本の留学生に聞いても、きちんと教えてくれなかった」とも言われました。

 欧米の人々は、自らの社会の行き詰まりを謙虚に受け止め、積極的に仏教から学ぼうとしている。私はそう感じました。欧米社会の懐の深さこそ知るべきでしょう。

 「仏教は寛容で、キリスト教は排他的だ」という二元対立論のもつ排他性を、私たちは肝に銘じなければなりません。仏教の優位性を説くあまり、相手に与える不快感を想像できないのであれば、私たちは独善に陥ってしまうでしょう。

 排他的、独善的な仏教にならないために、欧米社会を「正見」し、二元対立論を「不二」の精神で克服することが求められていると思います。

2010年1月1日 坂田光永


この文章は2010年1月1日発行『高野山時報 新春合併特集号』に掲載されました。


《バックナンバー》

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○ 2009年11月21日「排他的?独善的!」
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○ 2009年9月23日「笑いとため息」
○ 2009年7月21日「臓器移植と『いのち』の定義 続編」
○ 2009年6月21日「臓器移植と『いのち』の定義」
○ 2009年5月21日「『地救』のために何ができるか」
○ 2009年4月21日「アイアム・ブッディズム・プリースト」
○ 2009年3月21日「おくりびとと『死のケガレ』」
○ 2009年1月21日「『伝道師』としてのオバマ」
○ 2009年1月1日「空と海をつなぐ」
○ 2008年10月28日「会津をめぐる」
○ 2008年9月21日「神秘主義」
○ 2008年7月21日「グリーフレス中学生」
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○ 2008年4月21日「聖火の“燃料”」
○ 2008年2月28日「妖精に出会う」
○ 2008年1月21日「千の風になるとして」
○ 2007年10月21日「阿字の子が阿字の古里…」
○ 2007年8月21日「目覚めよ密教!」
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○ 2007年4月21日「空海の夢」
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○ 2006年11月21日「仏教的にありえない?」
○ 2006年10月23日「天使と悪魔 〜宗教と科学をめぐる旅〜」
○ 2006年9月21日「9/11から5年」
○ 2006年8月23日「松長有慶・新座主の紹介」
○ 2006年7月21日「靖国神社と仏教の死生観」
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○ 2004年8月21日「…私は、知らないから、そのとおりにまた、知らないと思っている」
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○ 2004年4月21日「抱いたはずが突き飛ばして…」(ミスターチルドレン『掌』)
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