仏 教 と現 代
葬式は要らないか
島田裕巳さん著『葬式は、要らない』(幻冬舎文庫)が売れています。私は以前、島田さんの『日本の10大新宗教』(同じく幻冬舎文庫)を読みましたが、非常に分かりやすかった印象があります。今度の新作も、負けず劣らずの傑作です。
この本は、まず「日本の葬式費用は世界一」というセンセーショナルな冒頭から始まります。
*各国の葬式費用
なぜこんなに高いのか? その理由を様々な角度から分析しています。
そして、葬式をとりまく背景の変化を、次のように指摘しています。
これらの変化が葬式無用論を現実のものにしているのだと、島田さんは分析しています。つまり、誰かが声高に葬儀無用論を唱えなくても、葬儀が減ってくるのは必然であるというのです。
この本は他に、葬式の民俗学的背景や、戒名についても述べています。じゅうぶんな説明とは言えませんが、簡潔で的確ではあります。
また、私の好きな白洲次郎の話も出てきます。「葬式無用 戒名不要」を唯一の遺言とした白洲は、その通り、いわゆる葬儀は行いませんでした。しかし、実際にはみんなが集まってどんちゃん騒ぎはしているワケです。島田さんは「これは広い意味で葬儀である」と言っています。葬儀は、単なるセレモニーというよりも、関係者が集まって「けじめ」をつける行為なのです。
著者は決して「葬儀無用論」をゴリ押しするわけではなく、例えば「派手な葬儀をして財産を使い切るのもあり」とも言っています。つまり多彩な選択肢を提示しています。はたして葬儀は要らないか? その答えは読み手自身が出せばよいことなのでしょう。
私は職業柄、「葬儀は無用です」とは言い切れません。むしろ、島田さんが言うような「けじめ」をしっかりとつけることが、遺された者にとってのグリーフワークになると思っています。しかし、現実の葬儀がグリーフワークになっていないことも多々あることは、認めなければいけません。
「お金がかかった」
「訳のわからないお経だった」
「あれせぇこれせぇと振り回された」
「お坊さんが頼りなかった」
そんな印象だけが残る葬儀なら、なかったほうがマシだと思われても仕方ありません。私自身が反省すべき点もあるはずです。
タイトルだけを見ると、いわゆる「葬式仏教」に携わるお坊さんたちにとっては敵視すべき本かもしれません。ですが、本当に葬式仏教を続けようと思うならむしろ読むべきです。そして、葬式にしがみつかない新しい仏教を模索しようという人も、読むとよいでしょう。
2010年4月23日 坂田光永
《バックナンバー》
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○ 2010年2月21日「立松和平さんの祈り」
○ 2010年1月1日「排他的、独善的な仏教にならないために」
○ 2009年12月21日「『JIN』のようにはいかないもので」
○ 2009年11月21日「排他的?独善的!」
○ 2009年10月21日「アフガンに緑の大地を」
○ 2009年9月23日「笑いとため息」
○ 2009年7月21日「臓器移植と『いのち』の定義 続編」
○ 2009年6月21日「臓器移植と『いのち』の定義」
○ 2009年5月21日「『地救』のために何ができるか」
○ 2009年4月21日「アイアム・ブッディズム・プリースト」
○ 2009年3月21日「おくりびとと『死のケガレ』」
○ 2009年1月21日「『伝道師』としてのオバマ」
○ 2009年1月1日「空と海をつなぐ」
○ 2008年10月28日「会津をめぐる」
○ 2008年9月21日「神秘主義」
○ 2008年7月21日「グリーフレス中学生」
○ 2008年5月21日「祈りと行動と」
○ 2008年4月21日「聖火の“燃料”」
○ 2008年2月28日「妖精に出会う」
○ 2008年1月21日「千の風になるとして」
○ 2007年10月21日「阿字の子が阿字の古里…」
○ 2007年8月21日「目覚めよ密教!」
○ 2007年6月21日「昔のお寺がそのままに」
○ 2007年4月21日「空海の夢」
○ 2007年3月21日「無量光明」
○ 2007年2月21日「よみがえる神話」
○ 2007年1月1日「伊太利亜国睡夢譚」
○ 2006年11月21日「仏教的にありえない?」
○ 2006年10月23日「天使と悪魔 〜宗教と科学をめぐる旅〜」
○ 2006年9月21日「9/11から5年」
○ 2006年8月23日「松長有慶・新座主の紹介」
○ 2006年7月21日「靖国神社と仏教の死生観」
○ 2006年6月21日「捨身ヶ嶽で真魚を見た」
○ 2006年5月21日「キリスト教と仏教と「ダ・ヴィンチ・コード」」
○ 2006年4月21日「最澄と空海」
○ 2005年9月23日「お彼岸といえば…」
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○ 2005年4月21日「ねがはくは花の下にて春死なん…」
○ 2005年3月21日「ライブドアとフジテレビと仏教思想」
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○ 2004年4月21日「抱いたはずが突き飛ばして…」(ミスターチルドレン『掌』)
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○ 2004年2月21日「…犀(さい)の角のようにただ独り歩め」
○ 2004年1月21日「現代の世に「釈風」を吹かせたい ―心の相談員養成講習会を受講して―」
○ 2003年12月21日「あたかも、母が己が独り子を命を賭けて護るように…」
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