仏 教 と現 代
仏法は汝らの内にあり
今回も書評です。取り上げるのは、『ダ・ヴィンチ・コード』『天使と悪魔』で大ヒットを出したダン・ブラウンの最新作『ロスト・シンボル』。舞台はワシントンD.C.です。
宗教象徴学者ロバート・ラングドンのもとに、世界最大の秘密結社「フリーメイソン」の最高位の資格を持つスミソニアン協会会長ピーター・ソロモンから連絡が入る。急きょ、連邦議会議事堂に駆けつけるラングドン。しかし、そこにピーターの姿はなく、切断されたピーターの右手首が置かれていた! 事件現場に現れるCIA保安局長は「国家の危機だ」と主張し、ラングドンを強引に捜査に巻き込もうとする。一方、ピーターの妹キャサリン・ソロモンは、純粋知性科学の多いなる成果をあげていたが、その研究所には謎の刺青男が忍び寄る…。謎のカギは、フリーメイソンの伝説のピラミッドにあった!? …ストーリーは、こんな感じです。
ラングドン・シリーズは毎回、膨大な蘊蓄が満載ですが、今回取り上げられるテーマは3つです。
まずはフリーメイソン。ご存じ世界最大の秘密結社ですが、「世界を裏で動かしている」などと極端な誤解もされています。確かに世界的指導者が加入していて、部外者から見れば奇怪な儀式もありますが、それはキリスト教も仏教も一緒です。そんな誤解を、ダン・ブラウンはむしろ冷静に、虚像を排した実像に迫ります。
次に純粋知性科学。「思考には物理的な力があるか」というテーマの研究です。例えば「ありがとう」と言い続けた水と「死ね死ね」と言い続けた水とでは結晶の形が違うという話、聞いたことありませんか? 「死の瞬間に体重が軽くなる」って話も。それってオカルトでしょ、といった感じですが、それを大真面目に研究する学問です。思考の実体は脳のシナプスを行き交うタンパク質ですから、思考の作用が物理的なパワーを持つというのは、素粒子レベルではあながち否定できません。もちろん実際にはトンデモが多いのでしょうけど、学問の対象としては興味深いテーマです。
そして3つ目は、舞台であるワシントンD.C.そのもの。この街は実は非常に魅惑的な秘密が満載なのです。考えてみれば、ワシントンの中心にある奇妙なオベリスク=ワシントン記念塔なんて、まんまフリーメイソンの象徴ですよね。世界最大のミュージアム、スミソニアン博物館群も、本当の狙いは何なんだ、という興味にそそられます。
*左の写真は2009年に私がD.C.を訪れた際の写真。オベリスクの向こうに連邦議会も見えます。
小説の出来栄えとしては、正直、前作ほどではありません。ラングドンはいいとして、知的なヒロイン、剛腕の捜査官、謎の暗殺者といった既視感ただよう人物設定は、新味に欠けます。
しかし、科学者ピーター・ソロモンが語る世界観は非常に共感できます。
東西の宗教は、教団として大きくなるにつれて、世俗的な変貌を遂げてきました。聖職者たちは真実の追求よりも階位の昇格にまい進する。祖師の教えは儀礼化し、表面的な解釈に明け暮れている。そんな宗教の現状を、ピーターは厳しく批判します。
同時に、彼は神を否定しない。神とは、すなわち「真実」である、真実は自身の内側にあり、自身と向き合い、自身を究明することこそ神に近付くことだ、と言うのです。キリスト教の「神の国は汝らの内にあり」という言葉と、空海が「仏法遥かにあらず、心中にしてすなわち近し」と言っているのは、同じ意味なのです。「まず“ことば”ありき」という聖書の言葉と、「五大にみな響きあり」という空海の言葉も、驚くほど一致します。
「宗教と科学の超克」という『天使と悪魔』以来のダン・ブラウンのテーマが、この作品で一応の完結を迎えたといってよいでしょう。
2010年5月21日 坂田光永
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