仏 教 と現 代
いのちの多様性
10月11日から名古屋では「COP10」(生物多様性条約第10回締約国会議)が開催されています。
その名古屋に、山口県から歩いて到達したグループがあります。「セブン・ジェネレーションズ・ウォーク」。山口県の「上関原発」建設予定地の対岸、祝島を出発し、10月初旬に歩いて名古屋に到着しました。
上関は、「生物多様性の宝庫」と言われる瀬戸内最後のすばらしい自然が残っています。ここに原子力発電所ができてしまうと、貴重な自然と私たち(特に福山市民)の口に入る魚や海藻は放射能に汚染されてしまいます。
さまざまな理由で、原子力発電は必要だと思っている人は多いと思います。でも、私はそうは思いません。原発に対する私の疑問にまともに答えられる人はいるのでしょうか。その疑問というのは…
(1)原発の燃料であるウランは枯渇資源なのに、持続可能といえるのか?
(2)原発は毎秒数tの温排水を出すのに、温暖化対策といえるのか?
(3)原発は完成までに何年もかかるが、その間の温暖化は放置するのか?
(4)科学技術予算の大半を浪費しているが、他分野の発展を犠牲にするほどの価値があるのか?
(5)田舎に原発を造ると送電中に電力の大半が失われる。なぜ都市部に造らないのか?
(6)原発による電力は他の発電に比べて高コストになり、電気料金を押し上げているが、これは国際競争力を低下させることにならないか?
(7)核廃棄物はどのように処理すれば安全になるのか?
(8)核燃料サイクルはいつになったら軌道に乗るのか?
(9)原発建設による安全保障上の危険はどのようにクリアされるのか?
(10)貴重な自然が失われ、生物多様性会議のホスト国として世界から非難されてまで、なぜ原発を建設するのか?
これはほんの一部です。原発解体の方法がないという問題、原発で働く人の被曝の問題など、山のような問題を現実に引き起こしながら、「原発は現実的」と考えているのは、実におかしなことです。
原発にはもう一つ大きな誤解があります。それは「原子力は日本の電力の3分の1を担っている」という誤解です。
実は、原発がなくても日本の電力はほとんどまかなえます(現に中国地方では島根原発が止まっていますが停電は起きていません)。原発はいちど火を入れると出力調整が大変なので、バカみたいにフル回転させなければならず、他の発電で調整しているので、結果的に3分の1になっているのです。
考えてみれば、この夏は空前の暑さでした。もし各家庭に太陽電池がついていて、この太陽エネルギーを電力に変えることができていたら… 無理にいちかばちかの危険な科学技術を試すより、多様な自然のいのちをいただいて生活するほうが、私には安心です。
さてウォークの話に戻りますが、実は私も、福山の鞆から田尻までのほんのちょっとの区間を、一緒に歩かせていただきました。
ウォーク隊のメンバーは、各地でイベントや交流会を重ねてこられました。私が出会った時点では、竹原で岩風呂を体験したり、三原で皮むき間伐のワークショップをしたり、地域の生ごみを豚が食べる農場を見学したり。それはもう、話を聞くだけでもかなり面白かったです。福山をたって以降も、名古屋まで毎日がドラマチックであったに違いありません。それは「いのちの多様性に支えられている」という事実を実感する旅だったからこそでしょう。
私も一念発起、名古屋に行きました(私の場合は新幹線で…)。「COP10」の前段の会議、「MOP5」終結後の10月16日。この日は、会議自体はお休みでしたが、会議場に隣接する白鳥公園は、「生物多様性交流フェア」と称する一大イベント会場となっていました。
会場内をうろうろしていると、なんと偶然、セブン・ジェネレーションズ・ウォークの皆さんと再会しました!
ちょうど上関原発の工事が本格的に始まりそうだという現地情報を受けて、ウォークのメンバーが、この日、ハンガーストライキを決意されました。私はなんと偶然にもその決意の瞬間に立ち会えたのでした。(10月21日現在、ハンストは続けられています)
「COP10」は、「生物多様性」をキーワードに、さまざまなテーマが話し合われます。遺伝子組み換え作物についてのルール作りや、生物資源の利益をどうやって公平・公正に分配するかなど、なかなか一筋縄ではいかない問題ばかりです。でも、生物の多様性が失われるということは、私たちの未来の可能性が失われていくということに他なりません。
「7世代先を考えて行動しよう」というネイティブ・アメリカンの教えに由来したセブン・ジェネレーションズ・ウォーク。「いのちの多様性に支えられて生きている」という実感こそが、私たちの社会を持続可能にしていくのだと思います。
2010年10月21日 坂田光永
*上関原発の工事の一時中止を求めてハンストをおこなっている方のブログ
http://blog.7gwalk.org/
《バックナンバー》
○ 2010年8月21日「奈良、歴史『再発見』」
○ 2010年7月21日「身延山と日蓮」
○ 2010年6月21日「ボクも坊さん。」
○ 2010年5月21日「仏法は汝らの内にあり」
○ 2010年4月23日「葬式は要らないか」
○ 2010年3月21日「再びオウム事件と仏教について」
○ 2010年2月21日「立松和平さんの祈り」
○ 2010年1月1日「排他的、独善的な仏教にならないために」
○ 2009年12月21日「『JIN』のようにはいかないもので」
○ 2009年11月21日「排他的?独善的!」
○ 2009年10月21日「アフガンに緑の大地を」
○ 2009年9月23日「笑いとため息」
○ 2009年7月21日「臓器移植と『いのち』の定義 続編」
○ 2009年6月21日「臓器移植と『いのち』の定義」
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○ 2009年4月21日「アイアム・ブッディズム・プリースト」
○ 2009年3月21日「おくりびとと『死のケガレ』」
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○ 2008年9月21日「神秘主義」
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○ 2008年5月21日「祈りと行動と」
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○ 2008年2月28日「妖精に出会う」
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○ 2007年1月1日「伊太利亜国睡夢譚」
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○ 2006年9月21日「9/11から5年」
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