仏 教 と現 代
「3分の1は原子力」は本当か?
福島の原子力発電所(=写真)は、深刻な事態が続いています。政府や東電は安定化への目処を立てたと言っていますが、あくまで冷却しきる最速の時期を示しただけで、廃炉へはさらに遠い道のりになると思われます。近隣の住民の皆さんは、本当に理不尽な気持ちを感じていることでしょう。
自然災害は防げませんが、原子力発電所の事故は防げます。原発をなくせばいいのです。
しかし、原子力発電の議論は、常に賛成と反対の平行線になりがちです。そして、一般的に「電気の3分の1は原子力でまかなわれている」「原発を止めると停電になる」というイメージが根強いため、なかなか原発から脱却できません。
本当に「電気の3分の1は原子力」なのでしょうか?
そもそもこの数値は、発電所の出力なのか、実際の供給量なのか、それともニーズなのかが問題です。
原発の割合は、電力会社によって違います。全国の総供給量でいうと、原発は4911万kWの出力があり、これが「3分の1」の根拠です。ですが中国電力は原発が8%にすぎません。昨年などは島根原発が点検偽装で止まっていましたが、停電は起きませんでした。中国地方の場合、原発が止まっても、特に問題はありません。
ただ、原子力発電はいったん火を入れたら最後、定期点検まではフル出力で稼働させなければいけないという特殊事情があります。なぜかというと、核エネルギーは出力調整が難しく、ニーズにあわせて増やしたり減らしたりできないからです。そこで、原発をフル稼働させるかわりに、火力・水力などで出力調整をおこなっているのです。真夏の一時期を除いて、全国で原発がまったく止まっても、停電はしないのです。
でも、逆にいえば「真夏には原発は必要」と言うことでしょうか? たしかに真夏が電力需要のピークと言われていますので、それがまかなえるように全国に原子力発電所をどんどん作りました。しかしこれは、ピークを抑えれば済む話でもあります。私はピーク時の電力料金を割高にすればいいと思います。そうすれば、事業所によっては電力ピーク期を夏休みにして、大幅な節電につながるでしょうから。どうしてそれをしないのでしょうか?
そして、一般消費者から原発へのニーズがあるかというと、それはまったく違います。誰も「原発の電気」がほしいのではなく、ただ「電気」がほしいのです。原発は国の科学技術予算の8割をつぎ込んでいて、建設立地への交付金や廃炉費用、核廃棄物の処理費用なども相当あるため、実はかなり割高なのです。それを消費者である私たちは甘んじて受けています。なぜなら、電力会社を選べないからです。もし電気を「原発」「火力」「自然エネルギー」の中から選べるとすれば、とてもいいと思いませんか? ドイツやスウェーデンでは、あたりまえのように消費者が電気を「選んで買っている」のです。
私は以下の情報などを参考にしています。ぜひご覧ください。
*気候ネットワーク … CO2・節電・原発すべてを25%削減する道筋を提言
*環境エネルギー政策研究所 … 被災地への自然エネルギーによる支援や、戦略的エネルギーシフトを提言
あえて仏教的な解説を付け加える必要はないと思いますが、「人間の欲は抑えられない。だから原子力発電所はなくせない」という論法だけは、本当に恥ずべき議論だと思います。まるで、「人はスピードを求める。だから自動車にブレーキはつけられない」と言っているように私には聞こえます。「少欲知足」は決して原始時代の生活を意味しません。より快適になるために、欲を適度にコントロールしていくことは、人間としてとても初歩的な智慧だと思うのです。
2011年4月21日 坂田光永
《バックナンバー》
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