仏 教
 と現 代

原発のうてもえーじゃない

 東日本大震災発生から3カ月に当たる6月11日(土)、福山市内で初の本格的な脱原発イベントを企画しました。

 これまで、私の個人的な社会活動については、極力この場では取り上げてきませんでした。取り上げるにしても、それなりに仏教と関連づけて紹介してきました。しかし、今回は少し踏み込んでみることにします。

 そもそもなぜあまり紹介してこなかったかと言えば、それは、寺院というのは公的な場所であり、檀家さんのものであるから、ということに尽きます。私個人がどんな政治的・社会的な考え方を持っていようと、それが寺院の運営を大きく左右するのはいかがなものか、と私自身も考えていたのです。

 ですが、こと原子力発電に関しては、そうも言っていられないと思うようになりました。近隣の原発(島根・伊方・玄海、あるいは新設される上関原発)がひとたびフクシマのような事故を起こしたら、風下の備後地域はあっという間に放射能の汚染区域になります。

 農地には放射能が降り注ぎ、対策をしようがしまいが風評被害のため農作物は食べられなくなります。子どもたちは防護服とマスクで登校し、運動会も中止。私たちは隙間だらけの本堂をアルミテープで目張りして、気休めの放射能対策に追われます。檀家の皆さんの生活は成り立たなくなり、ある人は北の親戚を頼り、ある人は南に逃げ、檀家さんに支えられていた寺院経営は崩壊します。

 しかし私たちは、よっぽどのことがない限り、自分から寺院を離れるわけにはいきません。放射能にさらされながら、しかも被害に対する賠償が十分ではない中で、この地にとどまり続けなければならないのです。

 そのようなリスクを負いながら、それでも原子力発電を選択する勇気も気概も、私にはありません。もはや、原子力を続けることと、寺門の護持発展とは、両立が不可能と言うしかありません。

 危険をあおる気はありません。安全だと思うことは自由です。また自然エネルギーがお嫌いな方もおられるようです。原子力関係のお仕事の方もおられるでしょう。その方に不快感を与えてしまうことは申し訳ありません。

 ですが、私は寺門の護持発展に責任があります。それはひとえに、この地域の護持発展に責任があるということです。

 そういう立場で、今回はこの場で「原発のうてもえーじゃない」と言わせてもらうことにします。

 原発のうても、えーじゃない!

2011年5月21日 坂田光永




《バックナンバー》

○ 2011年4月21日「『3分の1は原子力』は本当か?」
○ 2011年3月21日「千年前の聖たちのように」
○ 2011年2月21日「この不確実で不完全な世界」
○ 2011年1月21日「小さなタイガーマスクが増えること」
○ 2011年1月1日「平和の灯を高野山へ」
○ 2010年12月21日「台湾ダーランド」
○ 2010年11月21日「千人の垢を流して見えるもの」
○ 2010年10月21日「いのちの多様性」
○ 2010年8月21日「奈良、歴史『再発見』」
○ 2010年7月21日「身延山と日蓮」
○ 2010年6月21日「ボクも坊さん。」
○ 2010年5月21日「仏法は汝らの内にあり」
○ 2010年4月23日「葬式は要らないか」
○ 2010年3月21日「再びオウム事件と仏教について」
○ 2010年2月21日「立松和平さんの祈り」
○ 2010年1月1日「排他的、独善的な仏教にならないために」
○ 2009年12月21日「『JIN』のようにはいかないもので」
○ 2009年11月21日「排他的?独善的!」
○ 2009年10月21日「アフガンに緑の大地を」
○ 2009年9月23日「笑いとため息」
○ 2009年7月21日「臓器移植と『いのち』の定義 続編」
○ 2009年6月21日「臓器移植と『いのち』の定義」
○ 2009年5月21日「『地救』のために何ができるか」
○ 2009年4月21日「アイアム・ブッディズム・プリースト」
○ 2009年3月21日「おくりびとと『死のケガレ』」
○ 2009年1月21日「『伝道師』としてのオバマ」
○ 2009年1月1日「空と海をつなぐ」
○ 2008年10月28日「会津をめぐる」
○ 2008年9月21日「神秘主義」
○ 2008年7月21日「グリーフレス中学生」
○ 2008年5月21日「祈りと行動と」
○ 2008年4月21日「聖火の“燃料”」
○ 2008年2月28日「妖精に出会う」
○ 2008年1月21日「千の風になるとして」
○ 2007年10月21日「阿字の子が阿字の古里…」
○ 2007年8月21日「目覚めよ密教!」
○ 2007年6月21日「昔のお寺がそのままに」
○ 2007年4月21日「空海の夢」
○ 2007年3月21日「無量光明」
○ 2007年2月21日「よみがえる神話」
○ 2007年1月1日「伊太利亜国睡夢譚」
○ 2006年11月21日「仏教的にありえない?」
○ 2006年10月23日「天使と悪魔 〜宗教と科学をめぐる旅〜」
○ 2006年9月21日「9/11から5年」
○ 2006年8月23日「松長有慶・新座主の紹介」
○ 2006年7月21日「靖国神社と仏教の死生観」
○ 2006年6月21日「捨身ヶ嶽で真魚を見た」
○ 2006年5月21日「キリスト教と仏教と「ダ・ヴィンチ・コード」」
○ 2006年4月21日「最澄と空海」
○ 2005年9月23日「お彼岸といえば…」
○ 2005年7月21日「お盆といえば…」
○ 2005年4月21日「ねがはくは花の下にて春死なん…」
○ 2005年3月21日「ライブドアとフジテレビと仏教思想」
○ 2005年1月21日「…車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように」
○ 2004年8月21日「…私は、知らないから、そのとおりにまた、知らないと思っている」
○ 2004年7月21日「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」
○ 2004年6月23日「文殊の利剣は諸戯(しょけ)を絶つ」
○ 2004年5月21日「世界に一つだけの花一人一人違う種を持つ…」(SMAP『世界に一つだけの花』)
○ 2004年4月21日「抱いたはずが突き飛ばして…」(ミスターチルドレン『掌』)
○ 2004年3月23日「縁起を見る者は、法を見る。法を見る者は、縁起を見る」
○ 2004年2月21日「…犀(さい)の角のようにただ独り歩め」
○ 2004年1月21日「現代の世に「釈風」を吹かせたい ―心の相談員養成講習会を受講して―」
○ 2003年12月21日「あたかも、母が己が独り子を命を賭けて護るように…」
○ 2003年11月21日「…蒼生の福を増せ」
○ 2003年10月21日「ありがたや … (同行二人御詠歌)」
○ 2003年9月21日「観自在菩薩 深い般若波羅蜜多を行ずるの時 … 」
○ 2003年8月21日「それ仏法 遙かにあらず … 」



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