仏 教
 と現 代

永平寺の懺悔と「もんじゅ」

 以前から、どうして「もんじゅ」なのだろうとは思っていました。

 高速増殖炉「もんじゅ」は、福井県敦賀市にある核燃料施設です。これまで国家予算を2兆円以上もつぎこまれてきました。ふつう原子力発電所では、燃え残ったプルトニウムが「放射性廃棄物」となります。このごみは猛毒で、行き場がありません。そこで日本政府は、「運転しながら燃料となるプルトニウムを新たに造り出す」という高速増殖炉を開発しようとしました。しかし、火災事故が起きたり担当者が自殺されたりして、いまだに実用化のめどすらたっていません。動かない代物に、毎日5500万円の維持費がかかっています。なのに無くせないのは、そこに利権が発生しているからに他なりません。

 もうひとつの核燃料施設として「ふげん」というのもありました。こちらは、ウランとプルトニウムを混ぜて燃やす実験炉でしたが、成果のないまま廃炉が決定しています。

 どちらも文殊菩薩、普賢菩薩という菩薩の名前です。両菩薩は釈迦如来の脇侍として、釈迦の智慧と慈悲を体現しています。その菩薩の名前が、どうして核燃料施設の名前になったのだろうと、以前から疑問に感じていました。そのことに仏教者たちが何も言わないのが、さらに不可思議だったのですが。
永平寺
 その疑問が最近、解けたのは、「永平寺が懺悔、脱原発シンポへ」のニュースを見たときでした。

 福井県の永平寺が、脱原発の視点から生活や生き方を考えるシンポジウムを、11月2日に開くというのです。シンポジウムのテーマは「いのちを慈しむ〜原発を選ばないという生き方」。福島第一原発事故を機に、開催を決めたそうです。

 「もんじゅ」「ふげん」という名前は、なんと永平寺の僧侶が名付け親だったというのです。なるほど原発銀座の福井県ですから、永平寺が深く関与していたというわけです。もしかしたら永平寺も、政治家や企業の布施を通じて、利権のおこぼれを吸ってきたのかもしれません。

 私は、あの施設に「もんじゅ」と名づけたことは仏教を愚弄していると思っています。ひとつやふたつのイベントでその罪が洗い流されるとは到底思えません。プルトニウムの放射能の半減期は2万4000年ともいわれています。仏教には「劫」という、とてつもなく永い時間単位がありますが、それこそ永平寺は、もんじゅのプルトニウムの毒性がなくなる「劫」の間、懺悔し続けていただきたいと思います。

 と同時に、それでも永平寺がきちんと懺悔し、社会的にそれを表明する勇気はすばらしいと思います。これを自らの宗派に置き換えることは容易ではありません。「日本で最初に原発予算をつけた」と自称する中曽根元総理は高野山の篤信家ですし、高野山真言宗が脱原発を表明することは、今のところ考えられません。

 私は以前、同様のことを、このコーナーで述べています。
 2004年6月23日「文殊の利剣は諸戯(しょけ)を絶つ」

 その繰り返しになりますが、今こそ私たちは、原発を終わらせる「文殊の智慧」を集めなければいけないと思います。弘法大師は『般若心経秘鍵』という書物の冒頭で、「文殊の利剣は諸戯(しょけ)を断つ」と述べています。文殊の智慧の剣があらゆる戯事(ざれごと)を断ちきるように、まずは「もんじゅの利権」を断ち切ることが必要です。現代社会で仏教を身にまとうのであれば、常に自らの智慧が試されるのです。

2011年10月21日 坂田光永




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○ 2011年7月28日「フクシマからヒロシマへ、ヒロシマから世界へ」
○ 2011年6月21日「脱原発の、その先へ」
○ 2011年5月21日「原発のうてもえーじゃない」
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