仏 教 と現 代
人は土から離れては生きていけないのよ
12月22日は、高野山福山別院で恒例の「月大師講」がありました。毎年、冬至の日に朝7時からお勤めをし、そのあと世話方さんらによる「かぼちゃ汁」をいただきます。近所では冬の風物詩として知られています。
冬至は、太陽の位置が一年で最も低くなる日です。かつては月の動きを刻んだ太陰暦と、太陽の動きを刻んだ二十四節気が暦の基準でした。これは別に東洋の特徴というわけではありません。クリスマスも元々は冬至の祭りだったといいます。また、かぼちゃが主役になるのは、日本では冬至ですが、西洋ではハロウィンが思い当たります。
太陰暦や二十四節季は、農業中心の暮らしにおいては非常に合理的な暦だったと思います。また宗教的な祭りは、元をたどれば東西問わず収穫祭であることが多いようです。しかし多くの人が農業から離れた生活になり、食べ物は店で買うようになると、ほとんどの人は「土」を意識することなく毎日を送るようになりました。
しかし、そんな状況は、2011年に一変しました。3月11日の大震災によって発生した原発事故は、世界中に放射性物質をばらまきました。各地でヨウ素、セシウム、ストロンチウム、プルトニウムなど、ありとあらゆる放射能が検出されました。私たちが口にする食べ物は、これから数十年、いや数万年にわたり、多かれ少なかれ放射能に汚染されたものになってしまいました。
私は原発事故後、子どものころに見た映画『天空の城ラピュタ』に出てくる、「人は土から離れては生きていけないのよ」というセリフを、何度も何度も思い出すことになりました。「空を自由に飛びたいな」と夢想する無邪気な子どもに宮崎駿が突き付けた現実に、改めて直面させられたのです。
ある本に、なぜ農業が衰退するかが端的に書いてありました。野菜や肉や魚は、日がたてば腐る。工業製品はそこまでではないが、劣化する。ところがカネは、とっておけばおくほど価値が増す。野菜や肉や魚を扱う人は、カネを扱う人に比べて、圧倒的に不利な立場であるということになる。その結果、世の中はカネを扱う人が支配するようになる。…でも、野菜や肉や魚を扱う人がいなくなれば、私たちはいったい何を食べるというのでしょうか。
人は土から離れては生きていけない。ならば、土を穢してしまう核エネルギーは、人と共存はできないことになります。
「浄土」とは「仏の世界」のことです。それは遠くにあるのではありません。「縁起」つまり土と人との「つながり」を感じ取った瞬間に、この大地は浄土となります。それを忘れた世界を、「穢土」と呼ぶのです。
2011年12月22日 坂田光永
《バックナンバー》
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