仏 教 と現 代
時間を守る
時間を守る。これは社会人として当たり前のルールですが、なかなか守れない人がいるもんです。
かくいう私も遅刻常習犯。集合時間まで余裕があると、ついつい何か仕事をしてしまい出発が遅れてしまうのです。携帯電話が普及してからは一層ひどくなり、ますます遅刻が増えました。
こんな私が悪いのは百も承知で、それでも「昔はどうやって時間の約束をしていたんだろうか」などと言い訳がましく考えてしまうことがあります。例えば江戸時代以前は、時計なんて珍しいですよね。「午の刻に天下橋にて会おうぞ」などと約束をしても、正確な時間の共有は難しいでしょう。平気で1時間とか待ったんじゃないでしょうか。
「時間を守る」というモラルは、そもそもいつごろ始まったのでしょうか。
工場制手工業が発達する以前のヨーロッパは、家内制手工業や問屋制手工業によるモノづくりが基本でした。職人は日が昇ったら起きて、自分のペースで仕事をし、日が沈んだら寝ていました。それが工場制手工業(マニュファクチュア)の段階になると、労働者が工場に行って一斉に働くようになります。始業時刻、終業時刻が厳守される必要が出てきます。これが「時間を守る」というモラルの始まりです。
このときの、時計の持つ役割が興味深いのです。
時計は、今のように各家にあるわけではありません。腕時計なんてないわけで、主に教会にありました。教会の鐘が時間を知らせていた延長で、教会の時計塔が街の人々に時間を知らせていました。工場労働者は、教会の時計を見たり鐘を聞いたりして、工場への「通勤」の途に就いたことでしょう。教会が時間を知らせるということは、神が時間を支配するという考え方につながります。「時間を守る」ということは、神の教えに従うこと。教会支配こそが工場制手工業の下地を作ったのではないかと想像します。
かたや仏教でも、お寺が定刻に鐘を鳴らすことはありました。しかし、「仏が時間を支配する」という発想はありません。過去・現在・未来というのは仏教用語ですが、天女の羽衣が岩をこすって岩がなくなるほどの時間の長さを表す「劫」(ごう)という単位があるぐらい、時間の感覚は非常にアバウトです。
また、仏教には「絶対」ということが存在しません。時間もそうです。よく「あらゆる人にとって時間だけは平等だ」と言いますが、そうではないことは、相対性理論などで明らかになっています。楽しい時間は早く過ぎるし、苦しい時間は長く感じる、というのがそれです。
現代の時間の感覚は、ちょっと異常ではないかと感じることがあります。本来、時間は太陽や月の動き、季節の移ろいなどが合わさって生み出すものです。日が昇ったら起きて、日が沈んだら寝るというのは、人間の体にも無理が少ないはずです。グリニッジが提供する全人類一律の時間に合わせて、一日を機械的に区切っただけの「分」とか「秒」とかいう単位に縛られて動くのは、人間の体には本来なじまないのではないかと思ったりもします。
最近聞いた話ですが、イタリアの「バール」では、カウンターで飲むエスプレッソと、テーブルで飲むエスプレッソは、値段が違うそうです。テーブル席の方が2〜3倍も高いのだとか。これは、テーブルでゆっくり過ごす「時間」にお金を払っている、という感覚なのでしょう。ゆっくりと時間を過ごす「ぜいたく」が認められているのかもしれません。
スピードも大事でしょうけど、時間に追われるばかりでは、知らず知らず体に無理を引き起こすのではないかと思います。たまには時計の時間に縛られず、自然な時間のペースに身をゆだねるのも必要ではないでしょうか。自然の時間に体のリズムを合わせるのも、あるいは「時間を守る」ということの一種だと、思えなくもないでしょう。
以上、遅刻常習犯の言い訳でした。
2012年5月21日 坂田光永
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