仏 教 と現 代

比叡山の静謐

 この6月、初めて比叡山にのぼってきました。

 天台宗の総本山、比叡山延暦寺は、京都の街中からは、叡山電鉄、ケーブルカー、ロープウェイを乗り継いで約1時間。ロープウェイが到着した場所から、さらに30分以上歩いて東塔エリアに向かいます。その道のりは、高野山でいう町石道のような、たくさんの人が歩いて形成されたことを思わせる道でした。

 ようやく根本中堂が見えてきました。延暦寺の本堂にあたる比叡山の中心です。回廊を歩いて堂内に入ると、意外にも内陣が落ちくぼんだ造りになっていて、外陣から眺めると、僧侶方の修法を上から見下ろす格好になります。そして目線の高さに本尊の薬師如来や最澄像が見えるようになっています。独特の立体的な構造に、しばし見とれてしまいました。

 根本中堂は、歴史の上では何度か焼失しています。比叡山は、平安後期には朝廷や武家を脅かす一大勢力となり、僧兵は上皇たちをも恐れさせました。そんな比叡山を制圧しようとした室町6代将軍・足利義教に反発し、1435年、僧侶たちが自ら火を放って根本中堂は焼け落ちました。その後も戦国大名と同じぐらいの力を持ち、事実上の独立国として振る舞いました。織田信長が焼き討ちにしたのは有名ですが、それだけ比叡山が武力を持っていたという裏返しでもあります。

 根本中堂の近くには戒壇院があります。この戒壇院は、天台宗開祖の最澄の思いの結実です。最澄は純真でまっすぐだったがゆえに、奈良仏教と対立しました。戒を授けられなければ僧侶になれないのですが、当時は奈良の東大寺にしか戒壇院がなく、そのため僧侶希望者はことごとく奈良仏教にとりこまれていました。最澄は比叡山での大乗戒壇設立の許可を再三にわたって要請しますが、それが許されたのは、なんと最澄が亡くなって7日後のことだったといいます。

 高野山は山上に都市と呼べる集落があり、寺院だけでなく住居やレストラン、コンビニまであります。一方の比叡山は、わずかに食事処と土産物屋があるぐらいで、あとはほとんど仏堂しかありません。京都市内にある比叡山のほうが、どちからというと高野山よりも静謐な印象を受けます。もし間違って最後のロープウェイを逃すと、いったいどうやって夜を過ごすのだろうかと、急に不安になります。

 天台宗開創以前、若き最澄は、世俗にまみれた奈良仏教の喧騒を離れて、この地に一乗止観院を建立しました。名前の通り、まさに瞑想(止観)にふさわしい空気に包まれています。僧兵たちの割拠も興味深いですが、今のような落ち着いた風景のほうが、若き最澄の空気に近いのではないかと思います。

2012年6月21日 坂田光永




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