仏 教 と現 代

草津白根山の山道(光明院檀徒の藤井和子さん撮影)いじめを止めようとしている君へ

 この8月、朝日新聞で「いじめている君へ」「いじめられている君へ」「いじめを見ている君へ」という連続コラムが掲載されていました。それぞれに深く考えさせられるものでしたし、特に子どもが書いたものは、大人が書いたものの何倍も心にずしりときました。

 ですが、この3つのメッセージでいいのかな? という思いも沸き起こりました。いじめは、「いじめる人」「いじめられる人」「いじめを見ている人」だけではなく、少数かもしれませんが「いじめを止めようとしている人」もいるのです。その人たちへのメッセージも、必要なのではないかと思いました。なので、不十分ですが、私からそのメッセージを届けたいと思います。

  * * *

 いじめを止めようとしている君へ

 君はよく頑張っている。私は君を尊敬する。無理はするな。反撃を受けてできた傷や障害は、一生残ることもあるぞ。でも、ここが無理のしどきだと本気で思ったら、おなかの下にぐっと力を込めて、相手の動きをよく見て立ち向かえ。そして、危なくなったら一目散に逃げろ。

 私の中学時代は暴力が嵐のように吹き荒れていた。級友が脅され、殴られていたが、私はほとんど見て見ぬふりをしていた。でも、たまたま移動教室のため空っぽになった教室で、級友が囲まれて脅されているのに居合わせた。「これはまずい」と思ったが、離れられなかった。脅していた連中も、私を気にしたのか、ひとしきり級友を脅したものの、ひどく殴ったりせず立ち去って行った。級友は振り返って、私に「…行こうか」と言った。

 何年もたって、その級友が私に感謝していたことを、別の級友から聞いた。私は何もやっていないが、見て見ぬふりもしなかった。じっと見ていただけだったが、級友にとっては少しだけ心強かったのかもしれない。目をそらさないことも、いじめを止める第一歩になると私は知った。

 私の知人にはすごい人がいる。その人は、「いじめられっこ救出大作戦」を決行した。作戦内容はただ一つ、「独りで闘うこと」。釈尊の言う「犀の角のようにただ独り歩め」である。いじめとは集団の暴力だ。それに立ち向かうなら、独りで闘う覚悟がいる。そして、たった独りで闘う人ほど怖いものはない。集団に守られて自己が埋没している連中にとって、その人はあまりにも理解不能で恐るべき存在だったに違いない。

 ただ、注意しなければいけないことがある。感謝されようと思わないことだ。いじめられている人にとって、いじめはもはや日常だ。その日常のバランスを崩されることは、非常に不安定な気持ちにさせられる。もしかしたら、それがきっかけで暴力がエスカレートするかもしれない、という恐怖もあるだろう。だから、いじめられている人が君に感謝することは、ないと思っていたほうがいい。

 君のクラスメイトも、君を「偽善者」「かっこつけるな」とののしるだろう。君は間違いなく孤独になる。君自身がいじめのターゲットになるかもしれない。そのリスクを負えるかどうか、よく考えたほうがいい。

 でも、それでも、いじめを止めようとする君の行為には価値がある。君の行為は、いじめている人にも、いじめられている人にも、いじめを見ている人にも、必ず影響を与えるはずだ。そして、少しずつ空気が変わるはずだ。

 無理はするな。でも、ここが無理のしどきだと思ったら、おなかの下にぐっと力を込めて立ち向かえ。そして、危なくなったら一目散に逃げろ。

2012年8月23日 坂田光永




《バックナンバー》

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○ 2010年11月21日「千人の垢を流して見えるもの」
○ 2010年10月21日「いのちの多様性」
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