仏 教 と現 代

星に願いを

 高野山福山別院では、毎年2月3日、「節分星祭り」(せつぶん ほしまつり)を開催しています。

 節分というと、今では2月3日のことですが、もともとは「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日が節分です。特に四季の筆頭が春だったので、立春の前日が節分として残ったんでしょうね。節分といえば「鬼は外」「福は内」と言いながら豆まきをして、邪気を払い、福を招こうとする行事ですが、真言宗ではこの節分に、開運厄除のために「星祭り」(星供)を行うことがあり、高野山福山別院でもそうしています。この日は、僧侶による大般若経の転読と護摩供養による祈祷、さらに終了後は豆まき、福引も行います。昭和24年から始まる恒例行事で、今年も約200名の参拝がありました。

 星祭りは、災いを除くために個人個人の当年星(とうねんじょう)と本命星(ほんみょうじょう)をまつる祭りのことで、節分という一年の大きな区切りの日に合わせ、その年の星を供養し、施主の一年間の幸福を祈り、災いを取り除きます。

 …と、わかったようなそぶりで書いていますが、実は私は、この星祭のことをほとんど理解していませんでした。

 ところが、「年の区切りは節分ですか?それとも正月ですか?」と聞かれて、ちゃんと答えられず、これではいけないな、と反省したものです。そして、改めて詳しい知人に聞いてみると、なるほど星祭とは、なかなか興味深いシステムなのです。

 真言宗の星祭りは密教経典の『宿曜経』に基づくものですが、宿曜経では「九曜」「十二宮」「二十八宿」の組み合わせで、個人の吉凶を割り出します。多くの寺院は「九曜」を基準に祈願をするのではないかと思いますが、もっと細かく個人の運勢を特定するところもあるでしょう。また、年の区切りも、新暦の正月、旧暦の正月、節分など、いろいろあるようです。私の知人は旧暦の正月を基準にしていましたので、平成25年生まれの人でも、誕生日が2月9日までは「辰年」、2月10日以降の人は「巳年」とみなすそうです。きちんと区切りを決めないと、その人の今年の運勢をあらわす当年星がガラリと変わってしまうので、戸惑う人もいるでしょうね。

 そもそも「星が運勢を決めるのか??」と疑問に思う人もいるでしょう。それはそうですが、かつては天体の動きを見ながら暦や方角を定め、農業・漁業を行っていたのでしょうから、星は生活には密接にかかわっていたと思います。それに、潮の満ち引きは月の引力によるものですから、天体の動きは当然、人体にも何らかの影響は及ぼしているでしょう。最近は隕石が落ちてきて…という話は、ここではあまり関係ありませんかね。

 もちろん、星だけがその人の運勢を決定的に左右するわけではありませんので、それにあまり振り回される必要はありません。とはいえ、バランス感覚を持ちながらも、たまには忙しい合間に夜空を眺め、星に願いをかけてみるのもいいかもしれませんよ。

2013年2月21日 坂田光永




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