仏 教 と現 代

色彩を持たない多崎つくると、彼の色彩の話

 もともと村上春樹ファンでない私は、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んでも、実にピンときませんでした。最初に謎が提示され、その謎があいまいなままラストを迎えるという展開。よくないことに私はミステリー好きで、欲求不満がたまりつつ、「これは、こういうものなんだ」と自分をなだめすかして読み続けました。

 主人公の多崎つくるには、かつて一心同体と言ってもいい仲間がいました。それぞれ名前に色がついていて、ニックネームとしてアオ、アカ、シロ、クロと呼ばれていました。多崎つくるだけ、名前に色が入っておらず、そのこともあって彼はずっと「自分には色がない」というコンプレックスをいだいていました。その5人の結びつきが、あるとき唐突に壊れます。それは、多崎つくるを死の淵に追いやるに十分な出来事でした。

 キーワードは「色彩」です。

 登場人物の呼び名になっている色は、あの有名なキトラ古墳の壁面に描かれている四方・四神・四色と符合します。東に青竜(せいりゅう)、南に朱雀(すざく)、西に白虎(びゃっこ)、北に玄武(げんぶ)です。また、四季を人生の各段階になぞらえて、青春、朱夏、白秋、玄冬と呼ぶ考え方もあります。アオ、アカ、シロ、クロという四色は、それぞれ方角や獣神、季節と重ね合わせることができるのです。

 では、多崎つくるに当てはめられる色は本当にないのか? 実は、陰陽道の色の思想は「五行思想」の「五色」に基づいているので、あと1色あるんです。黄色です。方角でいうと中央、季節でいうと「土用」が、黄色に当たります。そして、獣神として麒麟(きりん)を当てはめることもあるそうです。ということは、多崎つくるは黄色?

 いやいや、そこまで深読みするのは間違いでしょうね。でも、物語を追う中で、多崎つくるには色がないわけではない、と感じられてきます。人は誰しも個性があり、「表に出やすい人と出にくい人がいるだけだ」と登場人物は語ります。

 かくいう私も、自分が個性的でないことにコンプレックスを抱いていた時期があります。周囲に面白い人が大勢いて、それに比べて自分はなんてつまらない人間なんだろうと思っていました。そんな頃、カラーセラピーを受けました。自分のカラーを確かめると、それは意外な色で、驚いた記憶があります。と同時に、自分にもそんな色があったんだと、ホッとしたものです。今から考えれば、些細なことなんですけどね。

 あいまいなまま物語を閉じて、「これは、こういうものなんだ」と自分に言い聞かせていると、だんだん「人生もこういうものなんだ」と思えてきました。いつまでたっても謎は解けないし、色に気を取られているうちは無色な自分が気になってしまう。そうやってすっきりしないままでも、私たちはいろんな場所へ旅に出られるし、季節も人生も移り変わっていくものです。

2013年5月21日 坂田光永




《バックナンバー》

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○ 2011年8月28日「脱原発・脱石油を誓う2011年の9.11」
○ 2011年7月28日「フクシマからヒロシマへ、ヒロシマから世界へ」
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○ 2009年12月21日「『JIN』のようにはいかないもので」
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