仏 教 と現 代

天皇と日本人(上)

 秀吉の中国大返しの真相? それとも坂本龍馬暗殺の真犯人? もし、「日本史の最大の謎を1つだけ挙げなさい」と言われたら、あなたは何を挙げますか?

 私は迷わずこう答えます。「天皇制はなぜ続いてきたのか?」。

 最近の若い人に聞いてみると、「なぜ天皇がいるのか分からない」という人が大勢います。中国や韓国をネットでバッシングするような人でも、天皇陛下を敬っているという人はおろか、なぜ天皇制があるのかすら説明できない人が多いと思います。彼らをネトウヨと言ったりしますが、まっとうな右翼思想とは程遠いと言わざるを得ません。

 とはいえ、「なぜ天皇制があるのか」をちゃんと説明できる人は、実は非常に少ないのではないでしょうか。

 宗教学者の山折哲雄氏は、この日本史最大の謎に正面から向き合い、同時に今後の天皇制のあり方に一石を投じています。山折氏は、週刊誌に載った「皇太子様、ご退位なさいませ」というフレーズで激しいバッシングを受けました。『天皇と日本人』(大和書房)は、この皇太子退位論の背景説明を兼ねた一冊となっています。

 山折氏は、戦後民主主義と象徴天皇制とは、最初は緊張関係にあったが、次第に調和のとれた関係に推移してきたと言います。そして、その背景には、天皇制が確立して以来、ごく一部の時期を除いて、実はずっと天皇は「象徴」であったということが解き明かされていきます。藤原摂関家、院政を敷く上皇・法皇、鎌倉幕府以降の武家政権などが「権力」を担い、天皇は象徴的な「権威」として機能する。そうやって互いの独走をセーブすることで、長期の平和が保たれてきたのです。戦後の象徴天皇制も、実はそういった下地の上に成り立っています。

 では、その天皇の権威(カリスマ)を維持する装置とは何か? それは宮中行事です。例えば「新嘗祭」(しんじょうさい、にいなめのまつり)は、いわゆる秋の収穫祭です。そして天皇の代替わり時期に行われるものを、特に「大嘗祭」(だいじょうさい、おおにえのまつり)と呼び、7世紀の天武天皇・持統天皇のころに定まったとされています。

 これらの宮中行事は、かなりの変遷をたどっています。明治維新以前、宮中の中心的な行事は、大嘗祭、新嘗祭、そして「後七日御修法」(ごしちにちみしゅほう、みしほ)でした。後七日御修法は、空海が創始した仏教(密教)儀礼であり、それは宮中内の真言院で行われました。しかし、明治維新政府は天皇中心の「国家神道」をつくりあげるため、かなり強引に「神仏分離」を行い、各地の神社から仏教色を排除するとともに、後七日御修法を宮中から追い出しました。さらに、戦後は「政教分離」に基づいて、天皇が行う公的な行事から宗教色が排除されました。戦後の新皇室典範には、「皇室の継承があったときは、即位の礼を行う」とだけ書かれ、「大嘗祭」の文字が削り取られました。大嘗祭はあくまで天皇の私的な行為となったのです。

 ちなみに後七日御修法は、真言宗が唯一、各派を超えて全宗的に取り組む定例の儀式です。天皇の玉体安穏と鎮護国家を祈る加持祈祷の儀式で、1月8日から14日までの「後七日」に開かれるので、その名がついています。この加持祈祷は、天皇が不在の時はその御衣を対象にするため、「御衣加持」(ぎょいかじ)と呼ばれます。民俗学者の折口信夫は、大嘗祭の本質を、天皇が「天羽衣」(あまのはごろも)を身に着けることによって聖性を獲得していくプロセスであると指摘しています。ですが千年前、すでに空海が、その大嘗祭の本質を見抜き、御衣に着目した仏教儀礼を宮中行事に盛り込ませていたのです。

 後七日御修法のような仏教行事を宮中で行っていたということ、あるいは真言院が宮中にあったということ自体が、現代の人からすれば驚きではないでしょうか。天皇は長年、宮中行事の中で、神道と仏教をバランスよく共存させてきたのです。

 けれども、明治維新がそのバランスを破壊しました。維新の元勲たちは、列強諸国がキリスト教精神に基づいて国家が形成されていることを目の当たりにしました。彼らは考えます。「キリスト教を入れるのは不可能」「でも仏教での統一は無理」「では神道は?」「いや、八百万の神々ではダメだ」…そうして発想されたのが、天皇を頂点とする一神教的な国家神道でした。神仏習合が当たり前だった神社から仏教を排除し、神仏分離を強引に行いました。結果、人工的な神道は国家権力の肥大化と暴走を招き、国を滅ぼす寸前に至りました。さらに戦後の政教分離で、天皇制から宗教色がそぎ落とされたのです。

 明治に仏教が排除され、戦後に宗教色が排除されたことで、天皇の持つ「権威」が弱まっているのではないか…。山折氏がそこまで書いているわけではありませんが、私はそう受け取りました。確かに、ただの無味乾燥なセレモニーをこなす存在ならば、「なぜ天皇がいるのか分からない」と感じる人が増えるのも、無理はありません。

 なお、女性天皇・女系天皇をめぐる議論については、いまだに決着を見ていません。私などは、そもそも天照大神が女性なのに、どうして女性天皇がダメなのか理解に苦しむわけですが、山折氏も同様の指摘をしています。男系男子の優先性を主張する論者が、「皇祖としての女神アマテラスに発する天皇の宮中祭祀とか、天皇と伊勢神宮との関係といった、祭司者としての天皇の内実に口をつぐんでいる」という中村生雄氏の論を引用し、『万葉集』『日本書紀』などに天皇の性別が書かれていない事実(ジェンダーの不在)を指摘しています。また、推古天皇から称徳天皇までの16代を見ると、半数の8人が女性天皇です。

 推古(女)−舒明(男)−皇極(女)−孝徳(男)−斉明(女)−天智(男)−弘文(男)−天武(男)−持統(女)−文武(男)−元明(女)−元正(女)−聖武(男)−孝謙(女)−淳仁(男)−称徳(女)

 ここから、女性天皇は例外措置だったという理屈は成り立たず、むしろ古代、女性天皇は「普通のことだった」と言わざるを得ません。女性天皇を否定する論者は、天皇制存続に熱心でないのでしょうか。まぁ、それはそれで、私はどちらでもいいと思うのですが。

 長くなりましたので、次号へつなぎたいと思います。

2014年7月21日 坂田光永




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