仏 教 と現 代

天皇と日本人(下)

 「天皇とは何か」の問いに、あなたらなどう答えますか? 山折哲雄氏は『天皇と日本人』(大和書房)で、その定かならざる像に迫っています。

 「天皇は神を祀るものであると同時に神として祀られるものだった」と、山折氏は述べています。そして、海外の王室やチベットのダライ・ラマと比較して、日本の天皇制の特異な点をあぶりだしていきます(余談ですが、フランス・ルイ14世の宮廷儀礼は非常に興味深いものでした)。

 日本の天皇制の特異点を示す一つの事例として、山折氏は「殯」(もがり)の存在を詳述します。そこで登場するのは、明治天皇の死と陸軍大将・乃木希典の殉死です。

 明治天皇は明治45(1912)年7月30日に亡くなります。その直後から、9月13日までの45日間、天皇の遺体は殯宮(もがりのみや)に安置されました(=左は黒田清輝が描いた明治天皇の殯宮)。乃木は毎日、殯宮に参拝をしました。そして、9月13日、遺体が青山斎場に移動するときに号砲が鳴らされましたが、その音を聞きながら、乃木は割腹自決しました。

 ここから読み取れることは、まず、天皇には「生理学的な死」(あるいは肉体的な死)とは別に、「社会的な死」(あるいは霊的な死)があるということです。7月30日、明治天皇の肉体は死んだものの、その後しばらく殯に安置され、9月30日、霊的に死を迎えたとする考え方です。そして、この考え方を乃木は共有していたことになります。

 霊肉二元論的な死の観念は、天皇のみならず、日本人一般に通底するものでしょう。そして、死者の遺体よりも霊魂に重きを置いた祀り方をします。一方、仏教は霊肉(心身)一元論です。真言密教では、瞑想や修法を通じて心身の「不二」を体得していきます。日本人の意識には、そうした矛盾する観念が共存しています。

 天皇の死の在り方、向き合い方に、日本人の意識の深層を読み取ることができる、ということでしょう。

 そのほか山折氏は、靖国神社の問題にも新たな視点を提供します。靖国神社は単に兵士の霊を祀るという以上に、「その霊を鎮めることで国家の政治的罪悪性を免除し、祟りの発現を未然に防ごうとする意図」を持っているというのです。菅原道真は不遇の死を遂げたので、怨霊となって祟りをなしました。そこで、天神として祀って、その魂を鎮めました。そんな「怨霊とならないよう鎮魂する」という考え方の延長線上に、靖国神社が存在するというのです。

 さらにこの見方を広げると、「なぜ日本には革命が起きなかったのか」という問いへの答えにもなります。社会に怨恨(ルサンチマン)が蓄積して起こるのが革命ですが、日本では怨霊鎮魂のシステム、すなわち「内乱の社会化(=革命)をあらかじめ国家の内部に回収してしまおうとする、政治と宗教の複合運動」によって、革命の芽が事前に摘み取られていたのです。

 いやはや、ここまで行くと、天皇論を超えて、日本有史以来の根源的意識を見通す壮大な話になってきます。

 いや、それこそが天皇論の奥深さなのでしょう。天皇は、まことにいろいろな意味で日本の「象徴」なのです。

 ここからは私の意見ですが、では今後、天皇制はどのようなあり方が望ましいのでしょうか。山折氏は皇太子に退位を勧めましたが、はたしてそんなことで「天皇制の危機」が解決するでしょうか。

 現在の天皇は、日本国憲法下で象徴天皇として位置付けられています。そこには、日本国を統合するという重大な役割が定められる一方、職業選択の自由も表現の自由もなく、「法の下の平等の枠外」にいる存在として扱われています。そして、山折氏が指摘するような「宗教的権威」としての存在意義が、政教分離によってほとんど無化してしまっています。

 ですが、現憲法下で象徴として位置付けたまま、宮中行事に宗教儀礼を復活させることは、近代国家として不可能でしょう。ましてや自民党の憲法草案のように「国家元首」として位置付けるのは、長い天皇制の歴史から見ると違和感を感じざるを得ません。

 むしろ、国家システムから天皇制を切り離し、日本国民としての諸権利を当たり前に獲得すると同時に、本来のみずみずしい宮中行事を復活させて、宗教的権威としての役割を発揮することこそが必要なのではないでしょうか。天皇制を日本国憲法から解放する、ということです。

 そのあかつきには、天皇陛下は京の都へお帰りになられるでしょう。そして、「後七日御修法」(ごしちにちみしゅほう)は、再び宮中で行われるであろうと思います。

2014年8月21日 坂田光永




《バックナンバー》

○ 2014年7月21日「天皇と日本人(上)」
○ 2014年6月21日「地獄へようこそ」
○ 2014年5月21日「死は自然なもの」
○ 2014年3月21日「土曜授業は仏教の衰退を招く」
○ 2014年2月21日「暦の上ではジャニュアリー」
○ 2014年1月21日「『馬力』というものさし」
○ 2013年12月21日「高野山にロックフェラー」
○ 2013年11月21日「道徳を教科にするかどうか、自由に話し合いなさい」
○ 2013年8月21日「線香に焦らず火をつける」
○ 2013年7月21日「チャランケの精神で」
○ 2013年6月23日「会津墓地に届くか念仏の声」
○ 2013年5月21日「色彩を持たない多崎つくると、彼の色彩の話」
○ 2013年4月23日「福島から来た『吊るし雛』」
○ 2013年3月21日「三十三間堂の壮観」
○ 2013年2月21日「星に願いを」
○ 2013年1月21日「増蒼生福」
○ 2013年1月1日「我等懺悔す無始よりこのかた」
○ 2012年10月21「三国伝来」
○ 2012年8月23日「いじめを止めようとしている君へ」
○ 2012年6月21日「比叡山の静謐」
○ 2012年5月21日「時間を守る」
○ 2012年4月21日「五大に皆響きあり」
○ 2012年3月21日「永劫に残る核のごみ 〜ドイツツアーに参加して〜」
○ 2012年2月21日「from 3.11 私たちは変わったか」
○ 2012年1月21日「汚い清盛、高野山から厳島へ」
○ 2011年12月22日「人は土から離れては生きていけないのよ」
○ 2011年11月21日「鞆の浦の古さと新しさ」
○ 2011年10月21日「永平寺の懺悔と「もんじゅ」」
○ 2011年9月21日「日東第一形勝300年に学ぶ」
○ 2011年8月28日「脱原発・脱石油を誓う2011年の9.11」
○ 2011年7月28日「フクシマからヒロシマへ、ヒロシマから世界へ」
○ 2011年6月21日「脱原発の、その先へ」
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○ 2011年4月21日「『3分の1は原子力』は本当か?」
○ 2011年3月21日「千年前の聖たちのように」
○ 2011年2月21日「この不確実で不完全な世界」
○ 2011年1月21日「小さなタイガーマスクが増えること」
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○ 2007年4月21日「空海の夢」
○ 2007年3月21日「無量光明」
○ 2007年2月21日「よみがえる神話」
○ 2007年1月1日「伊太利亜国睡夢譚」
○ 2006年11月21日「仏教的にありえない?」
○ 2006年10月23日「天使と悪魔 〜宗教と科学をめぐる旅〜」
○ 2006年9月21日「9/11から5年」
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○ 2005年9月23日「お彼岸といえば…」
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○ 2005年4月21日「ねがはくは花の下にて春死なん…」
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