仏 教 と現 代

私はシャーリプトラ

 パリで、デンマークで、陰惨なテロ事件が相次ぎました。表現の自由を巡って様々な意見が飛び交う一方、イスラム教へのバッシングも膨らんでいます。被害を受けた報道関係者がイスラム教を揶揄していたこと、犯人とされているテロリストがイスラム教徒であったことから、「イスラム教は暴力的」「イスラム教徒はテロリスト」という誤解・偏見が広がっているようです。その後、日本人2人が過激派組織「イスラム国」によって殺害され、日本でも同様の風潮が一部で広がりつつあるようです。

 2015年1月に起きたパリでのテロ事件は、辛辣な風刺画を掲載してきた雑誌『シャルリー・エブド』が標的になりました。12人が犠牲になり、世界中で反テロの機運が高まりました。そして、「私はシャルリー」というプラカードを掲げた市民が、街頭で「表現の自由」を訴えました。

 確かに、街頭で命を賭けて自由を訴えた市民たちの勇気はすばらしいと思います。ですが、各国首脳がその街頭行動をリードした(ように演出した)というあたりから、私にはどうも違和感がぬぐえませんでした。そして、イスラム教の創始者ムハンマドの風刺画を載せたことで、その違和感は決定的になりました。

 念のために書いておきますが、私は「表現の自由」にいささかも疑義を呈するつもりはありませんし、テロを肯定するつもりも全くありません。だいたい、こういう但し書きをしなければいけないという時点で、表現の自由がいかに蔑ろにされているかが、逆に分かるというものです。

 私の違和感は、「なぜイスラム教への侮辱より表現の自由が優先するのか」という点にあります。キリスト教が多数を占めるフランスでは、イスラム教徒は常にマイノリティとしての誤解や偏見にさらされています。そのイスラム教徒にとって、「ムハンマドを描く」という行為は偶像崇拝であり、イスラム教に対する侮辱ともいえます。そういう風刺画を、「表現の自由」を盾にこれまでも繰り返し掲載してきたのが、フランスの雑誌メディアです。取りようによっては、表現の自由を傘にきた宗教差別のようにも見えます。

 もちろん、イスラム教の一部の支配層が、男女平等などの現代的価値観を否定することに対して、より現代化しようとするイスラム教徒もいるでしょう。しかし、それは一義的にはイスラム社会の問題であって、フランス的価値観を押し付けていいものではないはずです。現代的価値観を受け入れようとするイスラム教徒にとっても決して喜ばしいものではなく、風刺画は単なる分断工作でしかありません。

 私はつい想像してしまいます。もしパリで襲撃されたのがイスラム系の出版社で、襲ったのがキリスト教徒だったら、あれほど世論が盛り上がっただろうか。各国首脳が並んでデモをしただろうか、と。

 そして、つい想像してしまいます。「お前はもう死んでいる」などと書かれた弘法大師の風刺画が、もし雑誌に載ったとしたら…。私は悲しみ、怒りに駆られるかもしれません。

 こんなとき、釈尊の弟子・舎利弗(シャーリプトラ)なら、釈尊にこう尋ねるでしょう。「世尊よ、菩薩としての在り方を教えてください」と。釈尊はこういわれるでしょう。「舎利子よ、身・口・意をととのえなさい」と。行動と言葉と心を、智慧と慈悲によって働かせることが大事だと教えられるでしょう。相手を思いやり、丁寧に間違いを正すよう心掛けなければいけません。

 テロの犠牲者の方々に心から哀悼の気持ちをお送りします。ですが、「私はシャルリー」というプラカードを掲げることはしません。もし掲げるなら、「私はシャーリプトラ」にしたいと思います。

2015年2月21日 坂田光永




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○ 2013年1月1日「我等懺悔す無始よりこのかた」
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