仏 教 と現 代
天上天下唯我独尊
また最近、子どもたちが被害者や加害者になる事件が相次いで報道されています。少年犯罪は統計的には減少傾向なのですが、それでも1つ1つの事件はどれもが痛々しく、悲しいものばかりです。
なかには、高野山ゆかりの青年が加害者になってしまった事件もありました。私たち高野山真言宗の僧侶も、もとよりですが、無関係ではいられません。
少年事件が話題になると、きまって少年法の厳罰化が叫ばれたり、「最近の子どもはわがままだ」という論調が幅を利かせたりします。道徳の主要教科化もその流れの中で進められています。ですが、それはとても一面的な見方であると私は思います。
自己尊重感情(自尊感情)という言葉をご存知でしょうか。「自分は価値ある存在だ」という感情です。重大犯罪をおかす人は総じて、この自尊感情が低い傾向にあります。究極を言えば、「自分の命なんてどうでもいい」と感じる人は、「他人の命もどうでもいい」と感じやすい、ということです。そして、日本の子どもたちは、他国と比べて自尊感情が低いと言われているのです。
例えば、内閣府が日本・韓国・アメリカ・イギリス・ドイツ・フランス・スウェーデンの7か国の子どもたちを調査したデータがあります(2014年内閣府『子ども・若者白書』)。それによると、「自分自身に満足している」と答えた子どもは、日本以外の6か国がすべて70%を超えているのに、日本だけ45.8%でダントツの低さでした。また、「ゆううつだ」と答えた子どもは、欧米の子どもが40%以下だったのに対し、日本は77.9%でトップでした。これは、日本の子どもの自尊感情が低いという一つの表れでしょう。
私の知人で、子育て支援の活動をしている人は、「子どもの自尊感情が低いのは、小さなころから『権利の主体』として接してもらっていないからではないか」と語ります。子どもはあくまで保護と管理の対象であって、守られるけれど意見を聞かれることはない。そうやって育った子どもは、自分の人生の主役が自分であるという実感が持ちにくいかもしれません。子育て支援をする私の知人は、子どもを「権利の主体」ととらえ、まだ言葉を持たない赤ちゃんの頃から、体に触れるときはいきなりではなく一声かけて触れたり、泣き声は「意見表明」としてとらえたりしている、と話していました。
お釈迦様の誕生の際の逸話に、「産まれてすぐ七歩すすんで『天上天下唯我独尊』と言った」という伝説があります。真偽のほどは別として、これはすばらしい教えだと私は思っています。「天上天下唯我独尊」とは、決して「俺だけが尊い」というヤンキーの落書きのような意味ではもちろんありません。「私はこの世界にたった1人であり、ただ存在するだけで尊いものだ」という宣言なのです。頭がいいからすばらしい、努力するからすばらしい、お金持ちだからすばらしいのではなく、存在するだけで価値がある、とお釈迦様自身が示しているのです。
唯(ただ)我(われ)独(ひとり)がそこに存在するだけで尊(とうとい)。これこそが自尊感情というものでしょう。お釈迦様は、すべての子どもたちが、オギャーと産まれた瞬間に、「ただいるだけで尊い存在」でいられるよう願っています。
4月8日は、お釈迦様の誕生日、「花まつり」です。
2015年3月21日 坂田光永
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