仏 教 と現 代
1200年という「ものさし」
先日テレビを見ていたら、鎌倉幕府を倒し、自ら政治を動かそうとした後醍醐天皇の「建武の新政」を取り上げていました。そこで後醍醐天皇の実像に近いといわれる肖像画が紹介されていたのですが、その姿はなんと、右手に密教法具の「金剛杵」を握り、僧侶が修法の際に座る「礼盤」の上に座っていました。明らかにこれは弘法大師を模した造形です。幕府から政権を奪取した異形の天皇が、500年前の僧侶の姿をしているとは。弘法大師が後世に絶大な影響を与えていたことが、こんなところから読み取れるのでした。
その弘法大師が高野山を開創して今年で1200年。4月2日から5月21日までの50日間、高野山では様々な法会、イベント、展示などが開催されます。
その法会の一つ、4月7日に行われた「慶讃千僧法会」に、私も参加してきました。高野山真言宗の青年僧侶の団体が主催した法会で、実際に千人近い僧侶が金堂・山王院・大塔に分かれて一斉に読経しました。大勢で読むお経は、それだけで感動的で高揚感がありました。
ところで、1200年を記念するということは、いったいどんな意味があるのでしょうか。もちろん、弘法大師の偉業を称えることや、高野山に関心を持ち足を運んでもらうきっかけになるということもあるでしょう。ですが私は、もっと根源的な、「生き方」につながる意味があると思っています。
人間というのは、忙しい人ほど短期的にしか物事を見られなくなるそうです。今日、明日のことばかり目が向いて、遠い未来への想像力が及ばなくなるというのです。残業は当たり前の長時間労働が蔓延し、安全性や人間らしさよりもスピード、効率が優先される現代社会。確かに私たちは、「今がよければ」という言い訳を重ねながら、未来に対して大きなツケを残し続けています。国の借金、自然破壊、放射能のごみ… まさに近視眼の極みです。このままでは、私たちの子孫は、私たちの世代を恨むことはあっても、感謝することはないでしょう。
広島県上下町で300年前に建てられた古い家に住んでいる若者が、こう言っていました。「300年前に建てられた家に住むということは、300年という物差しを持つということ。そうすれば、300年後のことを想像できるようになる」。
かたや現代社会に暮らす私たちの物差しは短くなる一方です。そんな現代だからこそ、高野山開創1200年という節目は、より大きな意味を持つのではないかと思います。
後醍醐天皇が弘法大師を振り返ったのは、高野山開創からおよそ500年後でした。後醍醐天皇は500年続く歴史を見つめ、500年後を夢想したに違いありません。私たちも、1200年という途方もない古から続く高野山という場所で、短くなった私たちの物差しをぐーっと緩めてみてはどうでしょうか。
2015年4月21日 坂田光永
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