仏 教 と現 代

隠す言葉、明かす言葉

 詩人アーサー・ビナードさんが、6月25日に廿日市で行われた高野山真言宗の寺族婦人会の研修会で講演をされました。アーサーさんはアメリカ生まれですが、私の知る限り最も日本語を深く掘り下げている人物です。『ベンシャーン ここが家だ』『探しています』など、原爆や戦争をテーマにした著作を多く世に出しています。そして、現在は広島在住です。

 そんなアーサーさんが最初に懐から取り出したのは、タクシーに乗った際のチラシでした。「ダイエットに興味がない人は見ないでください」というチラシのコピーを読み上げながら、「必要のないものを買わせるのがコピーライターの仕事。反対に、真実の言葉を届けるのが詩人の仕事。同じスキルを使うけど、目的は正反対」と言って、コピーライターと詩人を対比させました。

 1990年に来日したアーサーさんは、当初、東京の池袋に住んでいました。池袋の商店街のおじさん、おばさんと仲良くなったアーサーさんは、ある頃から彼らの戦争体験を少しずつ聞くことになります。そこで「焼夷弾」という言葉に出会いました。アーサーさんは「焼夷弾の“夷”とはどんな意味ですか?」と会場にマイクを向け、そこに「野蛮人、敵」という意味合いが含まれていることを私たちに気付かせました。焼夷弾とは、「敵を焼くための爆弾」という意味の言葉だったのです。

 アジア太平洋戦争の末期、焼夷弾は東京大空襲など日本各地で多くの人を殺傷し、街を焼け野原にさせました。その惨状は池袋の商店街のおじさん、おばさんたちの記憶にも焼き付いています。「焼夷弾」という言葉を語るとき、彼らには空襲の光景がにわかに呼び起されます。ですが一方で、朝鮮戦争やベトナム戦争でも焼夷弾が使われていたことは、彼らはほとんど知りませんでした。実際は日本で使われたよりももっと殺傷能力の高い焼夷弾が、大量に使われていたのにもかかわらず、彼らにとって朝鮮戦争やベトナム戦争は決して身近なものではありませんでした。なぜなら、その爆弾は焼夷弾ではなく「ナパーム弾」と呼ばれていたからです。

 もし日本のニュースで、「ベトナムに大量の焼夷弾が投下されました」と報道されたら、戦時中の記憶が呼び覚まされ、あるいはベトナム戦争に反対する人がもっと増えるかもしれない。そう懸念した人々が、あえて「ナパーム弾」という耳慣れない用語をつくりだし、焼夷弾とのつながりを断ち切ったのです。

 アーサーさんは、このような言葉を「隠す言葉」と名付けます。人々が真実にたどり着かないように、誰かが故意に言葉を操作するのです。

 その実例が、たとえば「原子力の平和利用」です。核兵器製造と原子力発電の仕組みはほとんど同じであり、海外では「核発電」(Nuclear power plant)と呼ばれているのに、日本ではあえて「原子力発電」と言い換えられています。それは核兵器との連想を断ち切り、両社は別物だと思わせることに役立っています。

 そのような「隠す言葉」がある一方で、真実を明らかにする言葉、「明かす言葉」もある、とアーサーさんは言います。

 それが「ピカ」という言葉です。「なんだ、ただの原爆のことじゃないか」と思われるかもしれませんが、ピカと原爆はまったく違うのです。何が違うか? それは「視点」です。「ピカ」は、昭和20年8月6日の朝8時15分に広島の相生橋の上に立ち、空を見上げた人の視点。「原爆」は、エノラゲイから広島の街を見下ろし、リトルボーイと称される一発の新型爆弾を投下した人の視点です。あるいは「核兵器」とは、原爆投下をワシントンから命じ、きのこ雲の写真とともに報告を受けた人の視点だといえます。

 アメリカ育ちのアーサーさんは、日本に来るまで「原爆が戦争を終わらせた」という「歴史」に疑いを持っていませんでした。しかし、「ピカ」という言葉に出会い、昭和20年8月6日の広島の人々の視点に出会った瞬間から、「何かが違う」と気付いたといいます。そこから、さまざまな矛盾がほどけていきました。「なぜ戦争を終わらせるチャンスはいくらでもあったのに、引き延ばしたのか」「なぜ広島と長崎に種類の違う2発の爆弾を落としたのか」。アーサーさんにとって、「ピカ」という言葉はまさに「明かす言葉」でした。

 今また新たな「隠す言葉」が大手を振って使われています。「平和」と名付けられた法律が、私たちを戦争に導こうとしています。

 私たちは「真言宗」です。私たちはどれぐらい真実の言葉と向き合っているでしょうか。隠す言葉に惑わされず、明かす言葉を語っているでしょうか。アーサー・ビナードさんから与えられた示唆は、はかりしれません。

2015年7月21日 坂田光永




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