仏 教 と現 代

『日本霊性論』

 お盆の季節、お墓詣りで霊に出会った人、そうでない人、いろいろいると思います。いわゆる「霊」とはちょっと違いますが、8月15日というのは、先祖供養と敗戦の日が重なり、何かと霊的(スピリチュアル)な気分になる人も多いでしょう。

 そんな時期にお勧めの本が、内田樹・釈徹宗『日本霊性論』です。内田さん、釈さん、それぞれの連続講義を1冊の本にまとめています。2人の掛け合いもあり、一見読みやすそうですが、しばらく読んでいると樹海をさまよっているような不透明感に襲われます。でも最後はきれいに視界が開けてくる。しかもそこは元いた場所のはずなのに、まるで新しい世界のように見えてしまうのです。

 内田さんは東日本大震災以降「霊性の賦活が急務である」と主張し続けています。「日本霊性論」というタイトルは、鈴木大拙の『日本的霊性』をモチーフにしているのですが、ユダヤ教やレヴィナスまで登場して、幅広くインスピレーションを与えてくれます。

 特に面白かったのは、内田さんが司法・教育・医療・宗教について言及した部分。内田さんは「裁き、学び、癒し、祈り」を「人間集団が生き延びるための歩哨(見張り)」と表現し、その役割を担う人は「センサーの感度を上げる」ことが必要だと説きます。

 例えば教育について。「教育は子どものために」という意見にも、「愛国心教育が必要だ」という意見にも、内田さんはくみしません。学校教育の目的は「頼りになる次世代」を作り出すことであり、教育の受益者は社会集団それ自体であるというのです。これには目からウロコでした。

 しかし現在、司法・教育・医療、そしてゆくゆくは宗教も、市場原理に呑み込まれそうな気配です。内田さんはこれを痛烈に批判します。

 「成長か死か」というような狂躁的なスローガンで浮き足立っている人たちから見ると、司法も教育も医療も宗教もさっぱり社会の急激な変化に対応していない。それが許せない。政治イデオロギーの消長や市場の株価の高下に即応して朝令暮改的にすべての社会制度が変化することが端的に「よいこと」だと彼らは信じているからです。

 でも、これはほんとうに愚かな考え方だと思います。人間が共同的に生きてゆくためには「急減には変化しない方がよいもの」がたくさんあります。(中略)そういうたいせつなものは、入力変化に対する感応の遅い、惰性の強いシステムに委ねなければならない。

 そこから内田さんは、宗教も社会を定常的に維持する機能の1つであることを解説していきます。なるほど日本も欧米諸国も、宗教国家ではないはずなのに、宗教が土台となって国家を支えているのです。もし国家が、市場が、自らのスピードに目がくらんで方向性を見失ったとき、宗教はブレーキを踏み、社会を軌道修正する役割を担うことになるのかもしれません。

 そういえば最近の内田さんは、安倍首相らが進める安保法制に対して非常に厳しい批判を展開しています。日本の立憲主義、平和主義が朝令暮改的な変化にさらされていることに、内田さんの「センサー」が反応しているのでしょう。「不殺生」という戒律を第一に掲げる仏教者も、社会の動きにしっかりとセンサーを働かせていなければいけません。

 さて、本の紹介はかようにシンプルにまとめてしまいましたが、実際の内田さんパートは本当に盛りだくさんで、知的樹海にハマります。読み終わって思うに、まずは後半の釈さんパートから読むほうが、すんなり森に入っていけるかもしれません。いずれにしても、樹海は奥が深いので、くれぐれも気を付けましょう(笑)。

2015年8月21日 坂田光永




《バックナンバー》

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○ 2015年5月21日「太古からのエネルギー」
○ 2015年4月21日「1200年という『ものさし』」
○ 2015年3月21日「天上天下唯我独尊」
○ 2015年2月21日「私はシャーリプトラ」
○ 2014年12月21日「下山する勇気」
○ 2014年10月21日「御嶽山と川内原発」
○ 2014年8月21日「天皇と日本人(下)」
○ 2014年7月21日「天皇と日本人(上)」
○ 2014年6月21日「地獄へようこそ」
○ 2014年5月21日「死は自然なもの」
○ 2014年3月21日「土曜授業は仏教の衰退を招く」
○ 2014年2月21日「暦の上ではジャニュアリー」
○ 2014年1月21日「『馬力』というものさし」
○ 2013年12月21日「高野山にロックフェラー」
○ 2013年11月21日「道徳を教科にするかどうか、自由に話し合いなさい」
○ 2013年8月21日「線香に焦らず火をつける」
○ 2013年7月21日「チャランケの精神で」
○ 2013年6月23日「会津墓地に届くか念仏の声」
○ 2013年5月21日「色彩を持たない多崎つくると、彼の色彩の話」
○ 2013年4月23日「福島から来た『吊るし雛』」
○ 2013年3月21日「三十三間堂の壮観」
○ 2013年2月21日「星に願いを」
○ 2013年1月21日「増蒼生福」
○ 2013年1月1日「我等懺悔す無始よりこのかた」
○ 2012年10月21「三国伝来」
○ 2012年8月23日「いじめを止めようとしている君へ」
○ 2012年6月21日「比叡山の静謐」
○ 2012年5月21日「時間を守る」
○ 2012年4月21日「五大に皆響きあり」
○ 2012年3月21日「永劫に残る核のごみ 〜ドイツツアーに参加して〜」
○ 2012年2月21日「from 3.11 私たちは変わったか」
○ 2012年1月21日「汚い清盛、高野山から厳島へ」
○ 2011年12月22日「人は土から離れては生きていけないのよ」
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○ 2011年10月21日「永平寺の懺悔と「もんじゅ」」
○ 2011年9月21日「日東第一形勝300年に学ぶ」
○ 2011年8月28日「脱原発・脱石油を誓う2011年の9.11」
○ 2011年7月28日「フクシマからヒロシマへ、ヒロシマから世界へ」
○ 2011年6月21日「脱原発の、その先へ」
○ 2011年5月21日「原発のうてもえーじゃない」
○ 2011年4月21日「『3分の1は原子力』は本当か?」
○ 2011年3月21日「千年前の聖たちのように」
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○ 2010年12月21日「台湾ダーランド」
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○ 2010年10月21日「いのちの多様性」
○ 2010年8月21日「奈良、歴史『再発見』」
○ 2010年7月21日「身延山と日蓮」
○ 2010年6月21日「ボクも坊さん。」
○ 2010年5月21日「仏法は汝らの内にあり」
○ 2010年4月23日「葬式は要らないか」
○ 2010年3月21日「再びオウム事件と仏教について」
○ 2010年2月21日「立松和平さんの祈り」
○ 2010年1月1日「排他的、独善的な仏教にならないために」
○ 2009年12月21日「『JIN』のようにはいかないもので」
○ 2009年11月21日「排他的?独善的!」
○ 2009年10月21日「アフガンに緑の大地を」
○ 2009年9月23日「笑いとため息」
○ 2009年7月21日「臓器移植と『いのち』の定義 続編」
○ 2009年6月21日「臓器移植と『いのち』の定義」
○ 2009年5月21日「『地救』のために何ができるか」
○ 2009年4月21日「アイアム・ブッディズム・プリースト」
○ 2009年3月21日「おくりびとと『死のケガレ』」
○ 2009年1月21日「『伝道師』としてのオバマ」
○ 2009年1月1日「空と海をつなぐ」
○ 2008年10月28日「会津をめぐる」
○ 2008年9月21日「神秘主義」
○ 2008年7月21日「グリーフレス中学生」
○ 2008年5月21日「祈りと行動と」
○ 2008年4月21日「聖火の“燃料”」
○ 2008年2月28日「妖精に出会う」
○ 2008年1月21日「千の風になるとして」
○ 2007年10月21日「阿字の子が阿字の古里…」
○ 2007年8月21日「目覚めよ密教!」
○ 2007年6月21日「昔のお寺がそのままに」
○ 2007年4月21日「空海の夢」
○ 2007年3月21日「無量光明」
○ 2007年2月21日「よみがえる神話」
○ 2007年1月1日「伊太利亜国睡夢譚」
○ 2006年11月21日「仏教的にありえない?」
○ 2006年10月23日「天使と悪魔 〜宗教と科学をめぐる旅〜」
○ 2006年9月21日「9/11から5年」
○ 2006年8月23日「松長有慶・新座主の紹介」
○ 2006年7月21日「靖国神社と仏教の死生観」
○ 2006年6月21日「捨身ヶ嶽で真魚を見た」
○ 2006年5月21日「キリスト教と仏教と「ダ・ヴィンチ・コード」」
○ 2006年4月21日「最澄と空海」
○ 2005年9月23日「お彼岸といえば…」
○ 2005年7月21日「お盆といえば…」
○ 2005年4月21日「ねがはくは花の下にて春死なん…」
○ 2005年3月21日「ライブドアとフジテレビと仏教思想」
○ 2005年1月21日「…車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように」
○ 2004年8月21日「…私は、知らないから、そのとおりにまた、知らないと思っている」
○ 2004年7月21日「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」
○ 2004年6月23日「文殊の利剣は諸戯(しょけ)を絶つ」
○ 2004年5月21日「世界に一つだけの花一人一人違う種を持つ…」(SMAP『世界に一つだけの花』)
○ 2004年4月21日「抱いたはずが突き飛ばして…」(ミスターチルドレン『掌』)
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○ 2004年1月21日「現代の世に「釈風」を吹かせたい ―心の相談員養成講習会を受講して―」
○ 2003年12月21日「あたかも、母が己が独り子を命を賭けて護るように…」
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