仏 教 と現 代

安保法制と仏教界

 関東地方の鬼怒川をはじめとする怒涛の水害の報に接して、改めて自然の力を思い知ります。かたや九州では阿蘇山が噴火。私たちの日々の「安全」をどう守るかが突きつけられています。

 かたや国会では、集団的自衛権の行使や国際紛争への軍事的介入を是とする安全保障法制が強行採決されました。「国民の命、平和な暮らしを守るために必要」と、悲願を達成した安倍晋三総理は高揚感をもって断言しました。かたや、全国で反対運動が盛り上がり、福山駅前でも連日、集会やデモが繰り広げられました。

 この安保法制に対する仏教界の反応は、一様ではありません。反対派の急先鋒である真宗大谷派や、筋金入りの活動家集団・日本山妙法寺、各地の「念仏者九条の会」などは、積極的に反対運動を展開しています。かたや、与党・公明党の支持母体である創価学会は、党の方針に従って推進する幹部と、「平和の党」「人間革命」の精神を重んじる学会員の亀裂が広がっているようです。私たち真言宗は、概して保守的で、大東亜戦争に対して肯定的なので、おそらく推進する方々が多いのではないでしょうか。

 私自身は、僧侶は「不殺生」という戒律を重んじ、「慈悲」の実践をすべきだという考えから、安保法制には反対意見を持っています。しかし、かたや「中国が日本を攻めてくる」と本気で信じていらっしゃる人々からすれば、この安保法制は正当防衛であり、慈悲の必要はないということになるかもしれません。私は、それなら個別自衛権でじゅうぶんなのではないかと思うのですが、なかなか議論は噛み合いません。

 大事なことは、仏教がなぜ、不殺生や慈悲を説くのか、ということです。

 仏教の柱は「縁起」という考え方です。あらゆる物事は、つながり(縁)によって生ずる(起)。これが「縁起」です。自分の言動が他者につながっているので、自然の摂理に反する殺生を行えば、巡り巡って全体に悪影響を及ぼします。逆に、慈悲をもって他者と接すれば、巡り巡って全体によい影響を及ぼすのです。そして、何が善で何が悪かは、この縁起のつながりを見極めることで判断します。そのために、私たちは物事を「正見」(ありのままに見る、あまねく見る)しなければなりません。

 「中国は脅威だ」は本当か? 確かに中国の軍備増強や南洋進出は大問題ですが、いまだに日中貿易は日本側の貿易黒字の状態であり、かたや中国人の「爆買い」が日本経済のかなりの下支えをしていることも、「正見」する必要があるでしょう。また、抑止力を主張する人は、日本が軍備増強をした場合の近隣諸国の反応を見極めなければいけません。軍拡のシーソーゲームがやがて招く悲劇を、その「縁起」の行く末を丁寧に分析すべきではないでしょうか。それが、最終的に私たちの日々の「安全」を守ることにもつながります。

 そういった視点から、仏教界はもっと積極的に議論を深めてもいいかもしれません。ですが、日本の仏教界は、総じて社会や政治に対して関心が低いように見えます。

 宗教学者の島薗進先生は、こう述べています(引用元はこちら)。

 (アジアの仏教界は)平和、科学技術の問題、生命倫理とか、原発などの問題に対して、しっかりした声を上げるところまでにいっていないのですが、ぽつぽつと変化の兆しはあります。たとえば、2011年12月1日に、全日本仏教会の脱原発の宣言が出ました。そういう方向に動く仏教界の流れがだんだん目立つようになってきました。そして、政治的なところにいかないまでも、市民社会の中で、人々の生活現場での問題に対応していこうという動きも始まっています。これは、日本の仏教の中では弱かったのですが、私も関わっている災害支援などから動き出しています。

 これまでは、檀家の葬祭を行い、そこで限られた範囲の人たちと接することに使命を見いだしていた仏教界が、もっと社会の様々な苦しみ悲しみに対応しながら、他の市民運動とか、行政などと協力しながら、宗教の声を社会に届けるという動きが出てきていますので、次第に、仏教の社会倫理的な発言がなされるようになる可能性があると思います。

 もちろん、2000年以上続いた仏教が、日替わりでめまぐるしく変化する社会や政治の問題について、常に一定の解答を出せるわけではありません。しかし、解答の導き方、物事をどのように見てどのように考えるのかを日々、発信していく立場にはあると感じています。

2015年9月21日 坂田光永




《バックナンバー》

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○ 2014年6月21日「地獄へようこそ」
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○ 2008年5月21日「祈りと行動と」
○ 2008年4月21日「聖火の“燃料”」
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○ 2007年1月1日「伊太利亜国睡夢譚」
○ 2006年11月21日「仏教的にありえない?」
○ 2006年10月23日「天使と悪魔 〜宗教と科学をめぐる旅〜」
○ 2006年9月21日「9/11から5年」
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