仏 教 と現 代
寺院消滅
高野山は今年、開創1200年ということで、4〜5月に開かれた記念大法会には、のべ60万人もの参拝者が詰めかけました。10月には、4〜5月に続いて再度、金堂本尊が御開帳され、再び多くのお参りがあるようです。
一方で、田舎の寺院は、青息吐息、果ては虫の息というところも少なくありません。最近は『寺院消滅』という本がよく売れています。寺院関係者以外がなぜ読もうと思うのか、実に興味深いですね(かくいう私はまだ読んでおりませんが)。日本の人口は急激に変化しており、20年後には全宗教法人の30%は消滅するとみられています。また、同じく話題になった「消滅可能性都市」の中に、高野山真言宗の約46%のお寺が存在するとか。これは伝統教団ダントツトップ、つまり高野山真言宗は各宗派の中で「消滅可能性寺院の割合が最も高い宗派」ということになります。
福山市という中規模の都市に住んでいると、あまりピンときませんが、中山間地の人口減少はすさまじい勢いで進んでいます。田舎から都会に出て行った人々が、わざわざ田舎の菩提寺や墓地にお参りすることも、だんだん少なくなってくるでしょう。そうすれば田舎のお寺は経営が成り立たなくなります。かたや都会では、お寺に所属することに抵抗があったり、そもそも菩提寺という発想がない人がさらに増えると予想されます。葬儀になって急に多額のお布施を請求されるという「不幸な出会い」をしたために、お寺嫌いになってしまった人も少なくないかもしれません。
寺院消滅が注目される理由の一つに、お寺の存続が地域の衰退具合を推し量るバロメーターになっているという点もあるでしょうね。また、地域が衰退すればお寺が消滅する、お寺が消滅すればコミュニティの拠点が失われてさらに地域が衰退する、という負のスパイラルにつながるので、何としても寺院消滅に歯止めをかけたい、ということもあると思います。
そのため、田舎のお寺は様々な取り組みをしています。先日も精進料理が大変おいしい禅寺にお参りしてきました。都会の喧騒を離れて、おいしい精進料理を食べ、心静かに座禅を組む。そんな場所を維持するために、住職たちは血のにじむような努力をしています。ぬるま湯につかった都市部の僧侶として、いろいろと考えさせられる経験でした。
ただ、根本的には、田舎の衰退そのものを食い止めなければ、お寺だけの努力ではどうなるものでもない、という気がしています。
日本の人口は、戦後の高度経済成長期に、人口が大移動しました。「地方:都市部」の人口比が、「7:3」から、なんと「3:7」に逆転したのです。実に人口の4割が、地方→都市部に引っ越したことになります。その後も、都市部への人口集中、特に東京一極集中はとどまることなく続きました。東京は世界屈指の人口密度の高い街になり、ベッドタウンから何時間もかけて満員電車で通勤する人々や、待機児童や待機老人のあふれる都市になっています。地方都市からたまに上京すると、「これは人間の住むところなのか?」と息詰まる気がします。精神的ストレスだけでなく、インフルエンザや花粉症など「都会病」といってもいい病気も深刻です。
かたや田舎は、都市にとっての水・空気・食料の供給減です。場合によっては水力やバイオマスなどのエネルギーをも供給しています。そんな田舎が衰退すれば、日本はさらに自給率が低下し、お金がなければ何もできない弱小国家になってしまうでしょう。田舎の衰退は、都市の繁栄を奪いかねないのです。「都市一極集中こそが日本の安全保障を脅かす最大のリスク」といっても決して過言ではありません。
現在の政府は「地方創生」などというキャッチフレーズを掲げていますが、一方で経済成長一辺倒の大企業優遇に軸足を置いていて、その政策は大いに矛盾しています。経済成長への執着を離れ、地域で経済が循環するしくみを作らなければ、いつまでたっても田舎は都市部の植民地でしかいられません。
このままでは、国主導で寺院消滅が引き起こされるかもしれない。これは新たなる廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)ではないでしょうか。
2015年10月21日 坂田光永
《バックナンバー》
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○ 2015年8月21日「日本霊性論」
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○ 2015年4月21日「1200年という『ものさし』」
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○ 2015年2月21日「私はシャーリプトラ」
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○ 2014年10月21日「御嶽山と川内原発」
○ 2014年8月21日「天皇と日本人(下)」
○ 2014年7月21日「天皇と日本人(上)」
○ 2014年6月21日「地獄へようこそ」
○ 2014年5月21日「死は自然なもの」
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○ 2014年1月21日「『馬力』というものさし」
○ 2013年12月21日「高野山にロックフェラー」
○ 2013年11月21日「道徳を教科にするかどうか、自由に話し合いなさい」
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○ 2013年6月23日「会津墓地に届くか念仏の声」
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