仏 教 と現 代

悟空の年

 2016年、丙申の年が始まりました。サル年ということで、年賀状や街の看板にかわいいサルが飛び跳ねています。

 仏教の世界でサルと言えば、やはり孫悟空でしょう。いえいえ、『ドラゴンボール』のほうではなくて、中国の物語『西遊記』の孫悟空です。

 ご存じのとおり『西遊記』は、三蔵法師というお坊さんが天竺(てんじく=インド)にお経を取りに行く道中、孫悟空、猪八戒、沙悟浄の3人の妖怪をはじめ、仙人や牛魔王、金角・銀角などが登場し、敵になったり味方になったりしながら旅を進めるという冒険物語です。特に、キン斗雲や如意棒など様々な仙術を使って戦う孫悟空の活劇は、世界中で愛されています。

 この『西遊記』の三蔵法師のモデルになったのは、玄奘三蔵という実在のお坊さんです(男性です、念のため)。唐の時代、実際にインドまで経典を取りに行き、膨大な経典を持ち帰って翻訳しました。有名な般若心経をはじめ、大般若経や唯識経典など中国にもたらし、後の仏教の発展に多大な影響を与えました。旅の道中は本当に命がけだったと思いますので、「もしかしたら誰かが守ってくれたのでは?」と後世の人が想像を膨らましたのかもしれません。

 ところで、孫悟空、猪八戒、沙悟浄には、それぞれ仏教的な意味合いが込められているといわれています。

 仏教でいう「煩悩」の中に「三毒」という考え方があります。「貪・瞋・痴」(とんじんち)の3つなのですが、これが3人のキャラクターにあてはめられているというのです。

 確かに、猪八戒は食欲旺盛、孫悟空は怒り狂って誰彼かまわず攻撃し、沙悟浄は知識はあるけど狡猾でずるがしこい… そんなキャラクターに描かれていますね。彼らは妖怪ですけど、人間の煩悩が妖怪の姿を借りて立ち現れたものなのかもしれません(ちなみに孫悟空の「孫」はむかしの中国で猿を表したようです)。

 さらにこの3人の妖怪の名前に注目してください。3人とも仏教の言葉が名前になっています。これは、それぞれの煩悩の解決策が示されているといえます。

 なかでも、三蔵法師と出会う前の孫悟空はひたすら、いかり続けていました。自分以外の存在を敵だと思い込み、相手が攻撃してくる前に自分から攻撃しようとする。自分とは違う存在を認められず、憎悪を投げつける。実体のないものにおびえ、いかりに身を滅ぼさんばかりの孫悟空は、お釈迦様によって閉じ込められてしまいました。しかし、三蔵法師とともに旅する中で、「空を悟れよ」という課題と向き合うことによって、すなわち自分がいかりを抱いてきた相手が単なる幻想だったと気付き始めて、そのエネルギーを前向きな方向に転化していくようになります。

 2015年の世界は、いつにないほど憎悪が渦巻きました。隣人を憎み、正義を振りかざし、多くの人が傷つき、また復讐心をあおられました。私たちの周りにも、自分とは違うバックグラウンドを持った人を過剰に憎み、汚い言葉を投げつける人が増えてきたような気がします。また、隣国を敵だと思い込み、先制攻撃をも辞さないという論調も目立ちました。

 2016年は「悟空」の年です。「空を悟れよ」とは、実体のない幻にいかり続ける私たちに課せられた、お釈迦様からの宿題なのかもしれません。

2016年1月1日 坂田光永




《バックナンバー》

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○ 2015年10月21日「寺院消滅」
○ 2015年9月21日「安保法制と仏教界」
○ 2015年8月21日「日本霊性論」
○ 2015年7月21日「隠す言葉、明かす言葉」
○ 2015年5月21日「太古からのエネルギー」
○ 2015年4月21日「1200年という『ものさし』」
○ 2015年3月21日「天上天下唯我独尊」
○ 2015年2月21日「私はシャーリプトラ」
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○ 2014年8月21日「天皇と日本人(下)」
○ 2014年7月21日「天皇と日本人(上)」
○ 2014年6月21日「地獄へようこそ」
○ 2014年5月21日「死は自然なもの」
○ 2014年3月21日「土曜授業は仏教の衰退を招く」
○ 2014年2月21日「暦の上ではジャニュアリー」
○ 2014年1月21日「『馬力』というものさし」
○ 2013年12月21日「高野山にロックフェラー」
○ 2013年11月21日「道徳を教科にするかどうか、自由に話し合いなさい」
○ 2013年8月21日「線香に焦らず火をつける」
○ 2013年7月21日「チャランケの精神で」
○ 2013年6月23日「会津墓地に届くか念仏の声」
○ 2013年5月21日「色彩を持たない多崎つくると、彼の色彩の話」
○ 2013年4月23日「福島から来た『吊るし雛』」
○ 2013年3月21日「三十三間堂の壮観」
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○ 2013年1月1日「我等懺悔す無始よりこのかた」
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○ 2012年8月23日「いじめを止めようとしている君へ」
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○ 2012年4月21日「五大に皆響きあり」
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○ 2012年2月21日「from 3.11 私たちは変わったか」
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○ 2009年3月21日「おくりびとと『死のケガレ』」
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○ 2008年7月21日「グリーフレス中学生」
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○ 2008年4月21日「聖火の“燃料”」
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○ 2007年4月21日「空海の夢」
○ 2007年3月21日「無量光明」
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○ 2007年1月1日「伊太利亜国睡夢譚」
○ 2006年11月21日「仏教的にありえない?」
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○ 2006年9月21日「9/11から5年」
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○ 2006年7月21日「靖国神社と仏教の死生観」
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