仏 教
 と現 代

徳川家の菩提寺・増上寺と厭離穢土

 NHK大河ドラマ『真田丸』で斬新な描き方が話題の神君・徳川家康公。そんな家康の陣には必ずといっていいほど「厭離穢土 欣求浄土」と書かれた幟が掲げられていました。徳川家は浄土宗の信者だったのです。

 そこで去る2月、東京に行ったついでに、徳川家の菩提寺で浄土宗の増上寺に立ち寄ってみました。

 地下鉄「大門」駅を降りるとさっそく、増上寺の総門だった「大門」が見えてきます。大門をくぐると次に見えてくるのは「三解脱門」。東京の街のど真ん中にあるにもかかわらず、これほど巨大な建造物があっていいのかと驚きます。三解脱門を通り、境内の真ん中にずっしりと「本堂」が構え、その右側には徳川家康が熱烈に信仰し持ち歩いたといわれる「黒本尊」をまつった「安国殿」が建てられています。

 何より面白いのは、本堂や安国殿の後ろに、ためらいもなく東京タワーがそそり建っているということです。徳川家菩提寺の借景が東京タワーなわけです。ある意味でこれほど東京らしさを感じさせる場所はないのではないでしょうか。

 そしてお目当ての「徳川家墓所」へ。葵の紋がかたどられた鉄門の向こう側に、二代・秀忠と妻・江の夫婦墓(=右下写真)をはじめ、6人の将軍や、皇女和宮らの石塔が安置されています。

 ところで増上寺の南北には、それぞれ東京プリンスホテルとザ・プリンスパークタワー東京がそびえたっています。説明を聞いて初めて知ったのですが、徳川家墓所は当初、この両プリンスホテルの土地に置かれていたというのです。

 もともと増上寺の南には秀忠の墓所が、北にはそれ以外の将軍・正室らの石塔が、それぞれまつられていました。しかしそれらの大部分は、太平洋戦争で空襲に遭い、焼失してしまいました。そして戦後になり、東京オリンピックを控えた1950年代、どういうわけか西武鉄道が墓所の土地を次々と取得。宮家の土地や国有地を買いあさっていた西武ですから、何か独特の経緯があったのでしょうか。西武鉄道と増上寺の土地紛争も起きていますが、その後に和解となっています。

 結局立ち退くことになった徳川家墓所は、一定の学術調査を経て、1958年に現在の増上寺境内に移設されることになりました。そして驚くべきことに、土葬されていた将軍たちの遺体は掘り返され、わざわざ火葬にされて墓に納められたそうです。

 なんということでしょう。天下の徳川将軍のお墓が、「ホテルが建つから」という理由で掘り返され、遺体を焼かれ、狭い敷地に押し込められていたのです。高度経済成長期だったとはいえ、こんなことが許されていいのかと驚嘆します。もっと不思議なのは、それがあまり大きく扱われていないことです。プリンスホテルのHPに載っていないのは当然としても、増上寺側はそれでいいのか? ひょっとしてタブーなのか? それはなぜ??

 経緯はともかく結果としては、将軍家をまつった墓所が、カネを生み出すホテルに取って替わったわけです。こうなると増上寺の風景はもう、あらゆる意味で東京を象徴しているように見えます。

 徳川が戦場で掲げた「厭離穢土 欣求浄土」の願いは、はたして叶えられたのでしょうか。ひょっとしたら、こんな東京(江戸)は嫌だ、「厭離江戸」だと苦々しく思っているのではないかと、私は不安でなりません。

2016年3月21日 坂田光永




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