仏 教
 と現 代

お盆と神道

  お盆になると先祖の魂が還ってくるとよくいいます。どこに還ってくるのか? 家か、墓か? そもそも魂はあるのか? そんな細かい疑問は置いておくとして(細かくないか)、ときどき先祖が還ってくるという信仰は面白いと思います。

 現在お盆は仏教行事だと位置づけられていますが、実際は日本古来の土着の民俗信仰に、のちの仏教や、その影響を受けて進化した神道などが、いろいろと折り重なったものだといわれています。

 日本古来の民俗信仰の骨格はおそらく、亡くなった人(先祖)が自然に帰り、しばらくは新魂(=荒魂)となっているので祈りの力で鎮めながら、生きている私たちに恩恵をもたらすような善い神々になってもらうという営みだろうと思います。収穫祭と先祖供養が一体となっているのは、世界各地の土着信仰に見られるものです。

 そこから、自然の木や石、山などを「ご神体」としてまつる原初的な神道が生まれたのでしょう。仏教伝来後、その影響を受けた神道は、神話や神道哲学をつくり出すとともに、大和王権の確立とともにその正統性を補強する役割も担うようになりますが、仏教と混然一体となった神仏習合の状態は民衆に受け入れられ、江戸末期までそのまま続きました。

 しかし幕末、本居宣長や平田篤胤らの「国学」を発生源として、「神道=純粋な日本の信仰」「仏教=外来の信仰」という硬直的なプロパガンダが行われるようになります。その影響下にあった明治維新勢力は、天皇崇拝の強化という目的もあって神仏分離令を発し、神仏習合を無理やり引きちぎりました。同時に、地域に根差した村々の神社をリストラし、政府が統治しやすいよう整理統合しました。そして、その頂点に伊勢神宮を位置づけ、天皇支配の強化に大いに利用したのです。

 これが現在まで続く「国家神道」です。戦後にいちおう国家からは切り離されましたが、その名残は今も根強いのではないでしょうか。「神社庁」という名前からも、その志は読み取れます。

 国家神道には、日本古来の神道が持っていたような土着性や多様性よりも、より中央集権的なにおいが感じ取れます。もともと出雲系だったり宇佐八幡系だったりした神社が、後継者問題を機に伊勢系に呑み込まれたという話もちらほら聞きます。また最近、「日本会議」との関係の深さが最近よく指摘されていますが、これも国家神道へのノスタルジーでしょうか。

 先祖の御霊を鎮め、収穫に感謝し、豊作を祈り、天変地異が起きないよう祈る。民衆の生活に寄り添う、そんな神道の側面のほうを、もっとアピールしてほしいような気がします。当然、神社に置かれる署名用紙は、改憲を呼び掛けるそれではなく、TPPからの離脱や脱原発、地球環境の保全を訴えるものこそふさわしいのではないでしょうか。

2016年8月21日 坂田光永




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○ 2014年12月21日「下山する勇気」
○ 2014年10月21日「御嶽山と川内原発」
○ 2014年8月21日「天皇と日本人(下)」
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○ 2014年6月21日「地獄へようこそ」
○ 2014年5月21日「死は自然なもの」
○ 2014年3月21日「土曜授業は仏教の衰退を招く」
○ 2014年2月21日「暦の上ではジャニュアリー」
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○ 2009年9月23日「笑いとため息」
○ 2009年7月21日「臓器移植と『いのち』の定義 続編」
○ 2009年6月21日「臓器移植と『いのち』の定義」
○ 2009年5月21日「『地救』のために何ができるか」
○ 2009年4月21日「アイアム・ブッディズム・プリースト」
○ 2009年3月21日「おくりびとと『死のケガレ』」
○ 2009年1月21日「『伝道師』としてのオバマ」
○ 2009年1月1日「空と海をつなぐ」
○ 2008年10月28日「会津をめぐる」
○ 2008年9月21日「神秘主義」
○ 2008年7月21日「グリーフレス中学生」
○ 2008年5月21日「祈りと行動と」
○ 2008年4月21日「聖火の“燃料”」
○ 2008年2月28日「妖精に出会う」
○ 2008年1月21日「千の風になるとして」
○ 2007年10月21日「阿字の子が阿字の古里…」
○ 2007年8月21日「目覚めよ密教!」
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○ 2007年4月21日「空海の夢」
○ 2007年3月21日「無量光明」
○ 2007年2月21日「よみがえる神話」
○ 2007年1月1日「伊太利亜国睡夢譚」
○ 2006年11月21日「仏教的にありえない?」
○ 2006年10月23日「天使と悪魔 〜宗教と科学をめぐる旅〜」
○ 2006年9月21日「9/11から5年」
○ 2006年8月23日「松長有慶・新座主の紹介」
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