仏 教
 と現 代

駆込み女と駆出し男

 こんな映画があったとは知らなかった。いや、こんな寺があったとは、恥ずかしながら今の今まで知りませんでした。江戸時代天保期の鎌倉の寺、東慶寺を舞台にした映画『駆込み女と駆出し男』。愉快痛快な新感覚時代劇です。

 これは、いわゆる江戸時代版DVシェルターの物語です。江戸時代、夫は妻を離縁できても、妻は夫を離縁できませんでした。夫から暴力を振るわれたり、不本意な結婚をして苦しめられたりした妻は、その不幸に耐えるしかありませんでした。しかし例外が。幕府公認の縁切り寺・東慶寺に駆け込んだ女たちは、一時的なシェルター「御用宿」や東慶寺専属の「寺役人」によって聞き取り調査が行われ、夫に離縁状、いわゆる「三下り半」を書かせることができました。女たちは男子禁制の東慶寺で2年間の修行生活を送ったのち、離縁状を手に自由の身になったのです。

 私は本作を見るまで、まさかこんな「駆け込み寺」が実際にあったということを知りませんでした。寺の住職であり、DVシェルターの活動にも関わっていながら、情けなや情けなや。ですが、映画では東慶寺の歴史、縁切りのプロセス、夫への対処やトラブル対応、寺での暮らし、集団生活によるストレスやいじめ、そして幕府との関係など、余すところなくきっちりと映画かれていて、その資料的価値は絶大です。なおかつ悲喜こもごものエンターテインメントとしてちゃんと成立させているのもすごい。自ら脚本も手掛けている原田眞人監督には脱帽です。

 さらに私好みなのが、老中・水野忠邦が権勢をふるう「天保の改革」という時代設定です。改革とは言っても、質素倹約の強制、浮世絵や歌舞伎の禁止、滑稽本の発禁、さらには蘭学者の取り締まりなど、はっきり言ってスターリンまがいの庶民弾圧に他なりません。当時、西洋列強が日本にアクセスを求めてきていましたが、幕府の権威が揺らぐことを怖れた水野は、これに「鎖国は祖法なり」という頑迷な方針で対処し、化政文化によって知恵と力を蓄えた民衆を敵視したのでした。この水野の手先となったのが町奉行・鳥居耀蔵です。あまりの恐ろしさに、名前の「耀」と官職「甲斐守」をもじって「耀甲斐(=妖怪)」と呼ばれたのでした。

 物語では、そんな「妖怪」の魔の手が、独立独歩の東慶寺に伸び始めます。これに対して主人公・中村信次郎(大泉洋)や御用宿の主人・三代目柏屋源兵衛(樹木希林)らが立ち向かいます。大泉洋の軽妙なせりふ回しとコミカルな立ち回りは小気味よく、権力と闘う庶民の底力を感じさせて元気が湧いてきます。

 なぜ東慶寺はこれほど独立性を保てたのか。一つには、その特殊な歴史にあったようです。開山は鎌倉幕府執権・北条時宗の妻・覚山尼で、すでに当時から女人救済の寺だったとか。その後も後醍醐天皇の姫や豊臣秀頼の娘など高貴な女性が入寺しており、時の権力もおいそれと手出しできなかったようです。

 江戸時代は身分制度が厳しかった一方で、女性の地位はむしろ、家制度が全階層に徹底された明治時代よりもマシだったという見方もあります。とはいえ男尊女卑は当たり前、現在でもDVの被害を受けた女性は厳しい境遇に陥りやすいのに、江戸時代ならなおさらでしょう。そんな時代に、東慶寺が、仏教的裏付けを持った「男女平等」「女人救済」の思想と、具体的に女人を救済する「駆け込み」のシステムを備えていたことに、驚愕と尊崇の念を抱かずにはいられません。

 とにかくせりふの量が膨大で、いちど見ただけでは理解不能です。2度、3度見てください。撮影場所となった書写山圓教寺の風景も堪能してください。この映画、「素敵」です。

2016年9月21日 坂田光永




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