仏 教 と現 代
追悼、日野西眞定先生
去る2016年10月3日、元高野山奥之院維那で民俗学者の日野西眞定先生が遷化されました。ご冥福をお祈りいたします。私は高野山専修学院で先生より民俗学の面白さを学びました。気さくなお話ぶりと民衆へのあたたかなまなざしが魅力的な方でした。
2013年に高野山真言宗広島青年教師会主催の行事で先生を講師として招き、行事を開催しました。その際の報告原稿を抜粋し、先生のご遺徳を偲んで掲載いたします。
高野山開創1200年記念事業を1年半後に控え、平成25年11月26日(火)、中国ブロック青年教師交流会が高野山真言宗広島青年教師会の主催で開催されました。
講師は高野山大学名誉教授で前奥之院維那の日野西眞定先生です。長年、仏教民俗学を研究されている日野西先生から「高野山開創千二百年お待ち受け講演 知られざる高野山の民俗 〜結界と女人道〜」というテーマで講演をいただきました。
先生は「弘法大師ほど個人として信仰されている人はいない」と指摘。維那として長年、御廟を守ってこられたご自身の体験を交えながら、特に結界と女人禁制に焦点を当てて、高野山信仰の特性を解説されました。
大師が高野山を開創しようとしたのは御年43歳のときです。壮年期となった大師は、自分の教えを形に遺しておきたいと考え、高野山を開創されました。
その高野山を描いた最も古いものとして「太政官符并遺告附属絵図」があります。この絵地図には、「金剛峯寺大門」として、なんと鳥居が描かれています。これについて先生は「修験道の考え方がないとこの絵は説明できない。高野山開創には修験道的要素が見られる。こういうところに注目しなければいけないと私は思っている」と語られました。大門が今のような門になったのは開創から三百年後、琳賢の時代でした。
また先生は、「七里結界」という表現にも着目されています。『性霊集』に「七里結界」という言葉が登場しますが、これは高野山全体のことでもあり、壇場伽藍のことでもあります。一見矛盾しているように思えますが、これについて先生は「インドは非常に大雑把なところがある。インドの考え方を大師は取り入れたのではないか」と分析されています。
結界は石や川を基準に線引きされました。『後宇多院御幸記』には、「都藍比丘尼」(とらびくに)という尼僧が弘法大師よりずっと以前に高野山に来たという伝承が記録されています。ここに、鳴川が結界の基準になっていたことが書かれています。
さて、結界内には多くのタブーがあり、それらは時代とともに変遷しています。その一つが女人禁制です。女人禁制は仏教とは無関係の、日本古来の信仰です。
平安時代の『今昔物語』には「弘法大師始メテ高野山ヲ建ル」とありますが、ここに「女永ク不登ズ」という表現で、一般の本としては初めて高野山の女人禁制のことが登場します。鎌倉時代に入ると、「近里女性等」が「仮ニ男子ノ姿シ結界ノ地ニ入ラント擬ス」というエピソードが『後宇多院御幸記』に出てきます。
江戸時代になると人々はより理性的になります。先生は「今の我々と同じような意識を持っていたのではないか」といいます。金剛峯寺蔵の『覚』には「女人、山廻リ之節、(中略)奥院御廟辺エ深ク立入リ」という記述があり、また上皇の后が入山を希望したため特別に許可したということもあったようです。そして明治五年、万国博覧会の開催をきっかけに、高野山の女人禁制は解禁されました。
なお、高野山には女人禁制の他にも様々なタブーがありました。鳴り物や楽器演奏の禁止、鳥獣の飼育の制限、あるいは竹・梨子・柿・李・林檎・胡桃・漆を植えてはいけないという決まりもありました。
室町時代の『弘法大師御託宣』には、「奥院道ニテ、ダラニヲ誦セズ、高雑談ヲシ、大咲(おおわらい)ニテスル事、我ガ本意ニ非ス」という御託宣があったと書かれています。「高野山のお坊さんの生活が乱れてくると、しばしば御託宣があったようです。神様がいさめたことにするんです。今なら頻繁に御託宣がなきゃおかしいが」という先生の言葉に、会場は笑いに包まれました。
この後、先生の体調不良のため講演会は予定より早い終了となりましたが、懇親会では活発な議論と交流が行われ、盛会のうちに閉幕となりました。後日、先生は「あと二十分あれば結びまで話せたのだが」と残念がっていらっしゃいましたが、お身内の方からは「広島に行くことができて本当に良かった」とのお言葉を頂戴しました。
2016年10月21日 坂田光永
この文章は、2014年1月発行『高野山真言宗第七伝道団 団報』に掲載された原稿の抜粋です。
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