仏 教
 と現 代

愛国と信仰

 最近まで話題になっていた「森友学園」問題で、一躍世間の注目を浴びることになった「日本会議」。神道系・仏教系・キリスト教系・新宗教系などの諸宗派が垣根を越えて集まり、今や閣僚の過半数が日本会議のメンバーだといわれるほど、政権を動かす力を持った草の根の市民団体です。かたや日本会議に支えられた党と、かたや創価学会に支えられた党とが連立与党を組んでいる日本。日本は政教分離の国だと言われながらも、政治と宗教の線引きはそれほど簡単ではないようです。

 そこで、こんな本を読んでみました。中島岳志さん(政治学者)と島薗進さん(宗教学者)の対談本『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』(集英社新書)。

 2人の問題意識や関心事がほとんど一致していて、特に対立点がないので、どっちの話をどっちの人が喋っているのか分からなくなるという程度の「難点」はあるものの、おおむね「うんうん」「それそれ」と頷きながら一息に読める好著です。

 読んでいて意外に感じたのは、「親鸞主義は戦前、国体論と親和性があった」ということでした。田中智学や石原莞爾のような日蓮主義者はよく言及されますが、親鸞主義者はあまり耳にすることがありません。ですが考えてみれば確かに、親鸞の他力思想と、天皇・国体への一体化とは、構造がよく似ているわけです。現に、美濃部達吉の天皇機関説を攻撃し、全体主義のムードを醸成したのは「原理日本」のような親鸞主義者だったというのです。

 親鸞上人ご自身に全然その要素がないにもかかわらず、その思想が時代を下るとともに拡大解釈され、「政治に利用される」というレベルを超えて国家そのものを呑み込み、愛国と信仰が一体になる状況をつくり出したのです。これはただならぬ現象だと感じます。なぜなら、その現象は今まさに起きようとしているからです。

 愛国心と信仰心。確かに2つの心情はよく似ています。この2つをきちんと分離することは可能なのでしょうか。いや、そもそも分離する必要はあるのか。アメリカの大統領は、あのトランプ氏ですら就任演説で聖書の言葉を引用します。ドイツの与党はキリスト教民主同盟ですし、イギリスには国教会があります。先進国といわれる国でも、政教分離は厳密ではなさそうです。

 愛国心も信仰心も、それそのものは人々の自然な感情ですし、決して否定されるものではないでしょう。しかし、この2つが合体し、膨張し、国を呑み込んでいくとすれば、それは危険をはらんでいます。熱狂が人々を支配し、誰もが空気を読む社会。少数意見は無視され、耳障りな批判は抹殺されるでしょう。今まさに、そんな社会に少しずつ近づいているのではないか、という危惧を抱いているのは、私だけではないと思います。

 この対談ではがゆいのは、そういった状況に抗う決め手になるような提言があまり出てこなかったことです。唯一出てきた「希望」は、柳宗悦のアジア主義でした。さて、それをどう現代社会に落とし込むかは、しかし難儀なことではあります。

 日本会議や教育勅語などキナ臭い話題に交じって、お寺の現代的役割や葬式仏教への言及などもあります。「現代宗教論」の入門編としても読めるので、そちらに興味のある人もぜひどうぞ。

2017年4月21日 坂田光永





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○ 2009年3月21日「おくりびとと『死のケガレ』」
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