仏 教
 と現 代

豊臣家を滅ぼしたあの鐘銘


豊國神社


大仏前交番


方広寺 本堂


方広寺 梵鐘


「国家安康」「君臣豊楽」
 昨年のNHK大河ドラマ『真田丸』で改めて知られるところとなった「方広寺鐘銘事件」。豊臣家がスポンサーとなって建立した京都・方広寺の梵鐘の銘文には、「国家安康」「君臣豊楽」という文字が彫りこまれていました。これを見つけた徳川方は、徳川家康の諱(いみな)が切り離されて書かれているということで、「大御所様に対する呪詛だ」「豊臣を主君とするという意味だ」と糾弾。結果、大坂冬の陣・夏の陣を引き起こし、豊臣家滅亡のきっかけになったという、あの事件です。

 当時から「諱を書くなど言語道断」「いや、気づかなくても仕方ない程度のミスだ」「いやいや、別に何の問題もなく、徳川の言いがかり」などと、その評価は分かれるところでした。『真田丸』は、史料をつぶさに当たったうえで、「碑文を書いた清韓は、よかれと思って『かくし題』として書いた」「しかし徳川方は呪詛と決めつけた」という展開にしてありました。おおよそこの線が史実に近いということでしょうか。

 このシーンを見ながら、ぜひともこの梵鐘を見てみたいという気持ちがムクムクと膨らんでいましたが、やっと先日、その野望が果たせました。

 京都市バスで「博物館・三十三間堂」停留所を降りて北に1分ほど歩くと、まず見えてくるのが「豊國神社」です。豊臣秀吉公を祭神としてまつる神社で、鳥居をくぐって本殿手前まで行くと、秀吉ゆかりの「千成瓢箪」の形をした絵馬がたくさん奉納されています。豊臣家滅亡以降、敵方だった徳川幕府の命によって廃絶されましたが、明治になって復活し、今に至ります。

 この豊國神社は、もともと方広寺の大仏殿があった場所です。え、大仏? そうなんです、方広寺は建立当初、大仏があったんです。その証拠に、近隣の地名には「京都大仏」「大仏前」などの名称が今も残っています。最寄りの交番も「大仏前交番」でした。

 ではなぜ大仏は無くなってしまったのでしょうか。このいきさつは凄まじくドラマチックです。

  • 天正14年(1586年)、豊臣秀吉は大仏造立を発願。当初は東山の遣迎院付近に造立する予定だったが、遣迎院の引っ越し途中でいったん中止(おかげで遣迎院は南北に分立)。
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  • 天正16年(1588年)、佛光寺の敷地を使うことに決定。佛光寺は移転させられる。
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  • 天正19年(1591年)5月、大仏殿の立柱式。文禄4年(1595年)、完成。同年9月、秀吉の祖父母の供養のため千僧供養会(以後、千僧供養は豊臣家滅亡まで毎月行われた)。
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  • 翌文禄5年(1596年)、慶長伏見地震により大仏が倒壊。
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  • 秀吉は、倒壊した大仏の代わりに、善光寺の阿弥陀三尊を本尊に迎えると言い出す。慶長2年(1597年)、善光寺如来が到着。
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  • 翌慶長3年(1598年)、秀吉が病気になる!
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  • 善光寺如来の祟りではないかということで、同年8月17日、善光寺如来は信濃の善光寺へ帰っていくも、時すでに遅し(?)。翌8月18日に秀吉死亡!
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  • 慶長4年(1599年)、秀吉の跡を継いだ豊臣秀頼が再び大仏の復興を計画。
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  • 慶長7年(1602年)、大仏造立工事中、流し込んだ銅が漏れ出し火災発生。巨大な大仏殿が焼失。
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  • 慶長13年(1608年)、再建工事開始。
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  • 慶長17年(1612年)、大仏に金箔を押すところまで完成。
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  • 慶長19年(1614年)、梵鐘が完成。が、しかしっ! 同年7月、方広寺鐘銘事件発生!
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  • 同年10月、大坂冬の陣。
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  • 翌慶長20年(1615年)、大坂夏の陣で豊臣家滅亡!
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  • 寛文2年(1662年)、地震で大仏が破損。
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  • 寛文7年(1667年)、木造で大仏再興。
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  • 寛政10年(1798年)、落雷による火災で大仏・大仏殿ともに焼失。
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  • 天保年間に大仏が上半身だけ(?)再建される。
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  • 昭和48年(1973年)、火災で焼失。今に至る!
 なんという七転八倒の顛末。豊臣家がどれだけ当時の寺社仏閣に迷惑をかけたかがよく分かります。とはいえ、その後の豊臣家や方広寺の成り行きは天罰としてもやり過ぎのような気が…。

 そして今、その方広寺は、かつて「京の大仏」としての栄光のかけらもない状態でひっそりとたたずんでいます。巨大なその敷地は接収され京都国立博物館などになったため、寺域は非常に小さくなり、本堂は締め切られ、梵鐘は拝観料もとらない状態で野ざらしにされています。

 方広寺という名前は、大仏である盧舎那仏を教主とする「大方広華厳経」から取られていますが、一説には「豊臣公」(豊公)の音を託したとも言われています。いってみれば、豊臣家にとっての方広寺・豊國神社は、徳川家にとっての輪王寺・日光東照宮と同じような位置づけになるわけです。だとすれば、この差はいったい何なんでしょう。

 現在、梵鐘の銘文は、いわくの「国家安康」「君臣豊楽」の文字が白く囲まれています。この8文字が豊臣家を滅亡に追い込み、果ては方広寺の命運すら翻弄したのかと思うと、別に豊臣家に恩義はなくとも、なんだか同情を禁じ得ません。とにかく、今となって言えるのは、この鐘銘が家康の天下を確実なものにしたということだけです。江戸時代は戦がありませんでしたが、それをもって国家安康、君臣豊楽の世の中になったと喜べるのかどうか、私には分かりません。

2017年5月21日 坂田光永





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