仏 教
 と現 代

築地市場と築地本願寺


築地市場入口


築地の場内市場


場内市場の金物屋


いちばステーションは閉館中
 小池都知事誕生以降、連日ニュースとなった築地市場の豊洲移転問題。東京以外で豊洲の汚染に詳しい人が続出するなど、全国区の関心事となりました。2016年11月に移転が決まっていたものの、小池知事就任後にいったん中止となり、このたび改めて豊洲移転が決定しました。

 そんな話題の現場、築地市場と豊洲に、5月末に行ってきました。

 まずは築地市場。その名もずばり「築地市場」駅を降りるとすぐに築地市場入口が立ち現れます。警備員さんから構内地図をもらい、緑色の動線に従って歩くと、自然と「魚がし横丁」に誘導されます。平日の朝なのに、もうとにかく凄い人、人、人! その大半は海外からの観光客です。一般的な日本の観光地ではアジア系の方が多いイメージですが、ここ築地はヨーロッパ系の人もかなり多い印象。そこかしこから英語っぽい言葉が聞こえてきます。

 お寿司や海鮮丼のお店が多いのかと思っていたら、お椀や箸など和食に関係ありそうなものから、玉子焼きや和菓子のような魚とは無関係そうなお店まで、なんでもあるんですね。包丁を手に取る外国人観光客の興味深げな顔が印象的でした。

 驚いたのは、この大量の観光客の合間を縫って、けっこうなスピードで行き交うカートのような小型トラック(ターレというらしい)です。市場関係者は慣れっこなのか、遠慮なくターレで走り抜けています。普通のトラックも頻繁に行き交い、排気ガスや観光客とのすれ違いはちょっと心配になりました。建物も古そうだし、このあたりが移転の理由の一つなのでしょう。

 移転問題に関心を持った人に向けて、「東京いちばステーション」では築地市場の豊洲移転の理由や経緯を紹介しています。…と思いきや、現在は閉鎖中。ご丁寧に問合せ電話番号が書いてあるので電話をかけてみましたが、つながりませんでした。おそらくは移転を前提にした展示の方向性と都知事の方針とに齟齬が生じたためでしょう。市場関係者の大半は移転に同意しているというのだから、変な「忖度」などせずに開いておけばいいものを。「市場や移転のことをもっと知ってね!」という貼り紙がブラックジョークにしか見えません。

 さて、場内市場を抜けて、今度は「場外市場」へ。築地市場には「場内市場」と「場外市場」があり、場内市場の豊洲移転後も場外市場は残るとされています。入口には「正式決定 場外市場は築地に残ります!」と嬉しそうに掲げてあるのですが、本体(築地市場)が移転して場外市場が残るって、なんとなく「糸の切れた凧」のような気がしてなりません。

 それにしても、この場外市場も大変な人だかり。海産物のお店の前に観光客たちが群がります。日本を代表するソウルフードの最高峰・中華そばも大人気の模様。ここでも魚だけでなく玉子焼きや鶏めしのお店が並び、活気にあふれています。はたして築地市場がなくなっても、「場外」市場の魅力はなくならないのでしょうか。すぐそばで魚の売り買いが行われているという臨場感が「磁場」となって、人を吸い寄せていると私には見えましたが。

 場外市場の人だかりを抜けると、インドかアラビアの大聖堂のような建造物が見えてきます。これ、なんとお寺。「築地本願寺」は浄土真宗本願寺派の東京の拠点であり、築地の歴史もここから始まります。もともと築地とは「埋め立て地」という意味で、江戸時代、ここに御坊を建てるために海を埋め立てたのが始まり。その後、関東大震災で墓所が壊滅し移転したため、その跡地が魚市場となって「築地市場」が誕生したのでした。

 せっかく築地の歴史も知ったことですし、やはりこちらも足を運んでみなければ。ということで、今度は豊洲にやってきました。

 ゆりかもめのターミナル駅「豊洲」の付近は、新しげな高層ビルにオフィスがひしめく新都心の様相ですが、そこから「市場前」駅(すでにこの駅名!)に移動すると、人は少なく空き地は多く、建設途中の街といった様子です。

 築地市場の移転先である「豊洲市場」は、すでに水産卸売場棟、青果棟、管理施設棟などの建物ができあがり、ほとんど完成しているように見えました。しかし、行き交うのは工事車両ぐらいで、警備員さん以外に人の気配はありません。見学ブースも造られていますが、入口がむなしく閉鎖されています。

 ここに築地市場が移転したら、確かに今よりは機能的になるかもしれません。ゆったりしたスペース。トラック輸送に合わせた道路網。観光客の動線はよりコントロールされ、事故も少なくなるでしょう。

 同時に、現在の「築地市場」が放つ独特の魅力は、おそらく完全に失われるだろうと確信しました。昔ながらの市場の活気。売場と客との距離の近さから生まれる熱気。ごちゃごちゃした路地感。そして築地本願寺。これらの魅力が世界中から観光客を集めていること、しかもこういう場所はおそらく世界中で築地市場しかないであろうということを考えると、豊洲への移転は致命的な何かを失うような気がしてなりません。

 土壌汚染が注目されていますが、築地市場の豊洲移転の是非をめぐるポイントはそれだけではないと思います。移転の経緯の透明性、オリンピックを理由とすることの合理性も含めて、7月2日投票の都議選でしっかり議論されることを期待します。

築地の場外市場


築地本願寺


豊洲新市場


豊洲の風景

2017年6月21日 坂田光永





《バックナンバー》

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○ 2017年4月21日「愛国と信仰」
○ 2017年3月21日「氷川神社と喜多院」
○ 2017年2月21日「トランプ大統領と福音派の距離感」
○ 2017年1月21日「共命の鳥」
○ 2016年12月21日「日光東照宮と輪王寺」
○ 2016年11月21日「天皇の生前退位は『仏教の弊害』?」
○ 2016年10月21日「追悼、日野西眞定先生」
○ 2016年9月21日「駆込み女と駆出し男」
○ 2016年8月21日「お盆と神道」
○ 2016年7月21日「亡国の相」
○ 2016年5月21日「星籠の海」
○ 2016年4月21日「花まつりの対機説法」
○ 2016年3月21日「徳川家の菩提寺・増上寺と厭離穢土」
○ 2016年2月21日「阿弥陀さん保存修理事業が成満」
○ 2016年1月21日「ミッセイさんと仏教のアンビバレント」
○ 2016年1月1日「悟空の年」
○ 2015年11月21日「『ボクは坊さん。』が映画化」
○ 2015年10月21日「寺院消滅」
○ 2015年9月21日「安保法制と仏教界」
○ 2015年8月21日「日本霊性論」
○ 2015年7月21日「隠す言葉、明かす言葉」
○ 2015年5月21日「太古からのエネルギー」
○ 2015年4月21日「1200年という『ものさし』」
○ 2015年3月21日「天上天下唯我独尊」
○ 2015年2月21日「私はシャーリプトラ」
○ 2014年12月21日「下山する勇気」
○ 2014年10月21日「御嶽山と川内原発」
○ 2014年8月21日「天皇と日本人(下)」
○ 2014年7月21日「天皇と日本人(上)」
○ 2014年6月21日「地獄へようこそ」
○ 2014年5月21日「死は自然なもの」
○ 2014年3月21日「土曜授業は仏教の衰退を招く」
○ 2014年2月21日「暦の上ではジャニュアリー」
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○ 2013年12月21日「高野山にロックフェラー」
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○ 2013年8月21日「線香に焦らず火をつける」
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○ 2009年9月23日「笑いとため息」
○ 2009年7月21日「臓器移植と『いのち』の定義 続編」
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