仏 教
 と現 代

葬式仏教正当論

 小学生の頃、同級生から「人が死ぬと儲かるけぇ嬉しいんじゃろ」と悪口を言われることがありました。お寺に住んでいる子どもの宿命のようなものです。「嬉しいはずがない」と憤る一方で、お葬式のお布施で暮らしている自分を全く恥じなかったかといえば、それは嘘になります。そのころから、「どうやら本来の仏教僧はお葬式に携わらなかったらしい」ということを見聞きするようになりました。「葬式仏教」という言葉を知っていたかどうかは覚えていませんが、日本のお寺や仏教は堕落していると確信するようになった私は、「葬式で稼ぐ仏教」という現実を堕落の象徴として受け止めていました。

 ところが近年、そんな「葬式仏教」批判は当たらないという、「葬式仏教正当論」なる主張を目にするようになりました。そして今月、岡山で行われた宗派の研修で、その唱道者である『葬式仏教正当論』の著者、鈴木隆泰先生(山口県立大教授)の講演を聞く機会を得ました。まさに「かゆいところに手が届く」ような見事な内容でした。

 先生の主張は一見、単純明快です。釈尊の時代や初期仏教の僧侶たちは、実はお葬式に携わっていた、ということです。

 そもそも、「葬式仏教」批判の核心とは何かといえば、「本来は」「釈尊は」あるいは「初期仏教では」、仏教僧はお葬式に携わっていなかった(携わってはいけないとされていた)にもかかわらず、現代日本のお坊さんたちは、葬式を営むようになり、堕落してしまった、というものです。本来のあるべき姿から逸脱したという点と、目の前の堕落した僧侶の姿が結び付けられて、「葬式仏教」批判が定着したといえます。

 では、なぜ「本来は」「釈尊は」あるいは「初期仏教では」仏教僧がお葬式に携わっていなかったと言われるようになったのでしょうか。それは、日本で「ブッダ研究」といえばこの人、といっても過言ではない、『ブッダのことば』などの著者として知られる仏教学者・中村元さんの影響が大きいようです。

 中村元さんは多くの初期仏教経典を翻訳しましたが、その中にこんな箇所があります。――釈尊の弟子アーナンダが、入滅間近の釈尊に「私たちは如来の遺体をどのようにしたらよいのでしょうか」と問うと、釈尊は「そなたたちは如来の遺体供養に関わるな」と答えた。――これが、現代に至るまで影響を及ぼしている「葬式仏教」批判の根拠となっています。

 しかし鈴木先生は、あえてこの「権威」ともいえる中村元さんの翻訳に異を唱えます。

 鈴木先生によると、ここに出てくる「遺体供養」(シャリーラプージャー)という言葉は、前後の文脈からすればむしろ「遺体処置手続き」と訳すほうが原意に近いのだそうです。釈尊は、アーナンダのような修行中の弟子たちに、納棺や火葬といった「遺体処置」には携わらなくてよい、と言ったのです。現に上記の経典ではその後、釈尊からアーナンダに対し、遺体の包み方や荼毘の方法、遺骨塔の建立方法などを事細かに説明しています。釈尊は決して、弟子たちに対して「葬儀一般に携わるな」と言ったわけではないのです。

 では、現実に初期仏教の仏教修行者はどのように葬儀に携わっていたのでしょうか。鈴木先生は、「釈尊は出家者が葬儀を執行することを禁止しなかった」と言います。ただし出家者は、同僚の葬儀は営むが、在家者(出家者ではない一般の人々)の葬儀には携わらなかったそうです。それはなぜかというと、釈尊がカースト制度を否定したからです。カースト制度にとって葬儀などの通過儀礼は根幹にあたるもので、仏教出家者が在家者の葬儀に関わればすなわち仏教がカースト制度に組み込まれたことになるので、在家者の葬儀には携わらなかった、というのです。

 インドのカースト制度がいまいち理解できていない私にとっては、いささか複雑な理由ですが、要するに「お坊さんは同僚のお葬式はするが一般人のお葬式はしない」ということだったんですね。

 あれ? ということは、「仏教僧がお葬式に携わっていなかった」という説は、半分間違っているが、半分は当たっているような気もします。全く制約がなかったわけではないですもんね。もちろん、カースト制度の存在しない日本では、その制約は意味がないということかもしれませんが。

 それに、いくらそのことを強調したからといって、「葬式がどうあれ日本仏教が堕落していること自体は間違いない」と感じる人もいるでしょう。その点について鈴木先生は、「人々の悩みに答えられるように柔軟性を発揮すべき」と言います。仏教では「方便」という考え方が重んじられます。実際に目の前の相手を救えるかどうか、仏教者が真剣に向き合わない限り、「葬式仏教」批判は形を変えて続くことになるでしょう。

2018年6月21日 坂田光永





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