仏 教
 と現 代

自然の摂理

 雨の力がこれほどのものとは思いませんでした。3日間続いた豪雨によって、西日本各地で大きな被害が出てしまいました。大切な人を失った方、家を奪われた方、思い出の詰まったものを流された方、水の届かない中で何日も過ごされた方… その哀しみ、苦しみは想像を絶します。何もできませんが、皆様にみほとけのご加護がありますよう、ただただお祈り申し上げます。

 豪雨災害後、各地の真言宗寺院から様々な情報が寄せられました。左の写真をはじめ、一面が池のようになった福山市内の市街地の写真を見て、「これが福山?」と驚きました。本堂が土砂でつぶれてしまったという広島県内のお寺もありました。土砂が墓地に流れ込んで墓石がなぎ倒されたが、修復のめどがつかず途方に暮れているというお寺もありました。

 当山の檀信徒の皆様からも被害の状況を伺い、被害後の苦労をお聞きしました。「たかが床下浸水」とはいきません。畳をひっくり返して乾かし、におい消しをし、薬をまくのは、相当な重労働です。床上浸水や土砂崩れに遭った方々のご苦労は、察するに余りあります。

 加えて、避難されている方々や救援・支援活動にあたっている方々を襲う暑さも猛烈です。くれぐれもお体に気をつけてください、としか言い様がありません。

 確かに今回の豪雨は異常だったと思います。しかし、このような災害が今後も頻繁に続くのではないかという気もします。異常気象が日常になりつつあるということです。人類文明がもたらした気候変動が、自然の猛威を助長していることは間違いなさそうです。

 であれば、今後私たちが考えなければならないことは、「被害をできるだけ小さくする智慧」を集めることではないでしょうか。

 ブッダは「縁起」の法則を説きました。この世はすべて因・縁・果によってつながっており、相互に影響を及ぼし合っている、という考え方です。弘法大師は「即身成仏」を説きました。地・水・火・風・空・識は常に循環しており、我が身もその循環の環とつながっている、という考え方です。

 このような仏教の教えは、現代風に言い換えれば、「自然の摂理」を理解しそれに従う、ということになると思います。

 人類は、実は長い歴史の中で、この「自然の摂理」を理解しそれに従おうと努めてきました。日本の地名には「蛇」「竜」「押切」など水害の歴史を物語っているものが多いといいます。福山市内でも「沼」という地名があり、実際にそこは水没しました。そういう地名が近年、新興住宅地の開発とともにクレンジングされ、どこにでもあるような当り障りのない住所になっています。昔から近隣に住むお年寄りは「あのへんは危ない」と知っていた、という話もよく耳にします。お金目当ての開発業者が水害危険地域と知っていて安く買い取って造成し儲けていたとしたら、それは先人たちの智慧への冒涜であり、自然の摂理への冒涜です。

 かたや、災害対策と称して巨大な砂防ダムやダムや堤防が築かれることも大いに疑問です。ギリシャの歴史家ヘロドトスは「エジプトはナイルの賜物」と述べていますが、ナイル川の氾濫が肥沃な土を運んで豊かなエジプト文明を生み出したように、農業にとっては長期的に見れば川の氾濫は利があることです。とはいえ、農業の担い手が減少する中、田畑やため池をどう維持するかは難問です。そういえば今回の災害後に「水役さん」という言葉を聞きました。ため池を管理する地域の役割のことで、大雨のときにどんな対策をするのかというノウハウが共有されていたようです。ところが、だんだん農業従事者が減っていく中で形骸化し、先人たちの智慧が伝承されなくなってしまった、ということでした。今後は、水害の多い地域は宅地にせず、田畑を維持しておくことの必要性が高まっていくのではないでしょうか。

 いわば「自然の摂理」を踏まえた土地利用をしなければならないというのが、このたびの災害の教訓でしょう。

 現在進行形で被害に堪えている方々にこんな話をするのは適切な時期ではないかもしれません。しかし、「喉元過ぎれば」というように、私たち現代人は痛みを教訓化するより忘れてしまうのが得意な生き物です。次なる被害をできるだけ小さくするために、今のうちにしっかりと、「自然の摂理」の重要性を感じておく必要があると思います。


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2018年7月21日 坂田光永





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