仏 教 と現 代
オウム事件は終わらない
麻原彰晃、井上嘉浩、新実智光… 彼らの名前を聞いてまず感じたことは「懐かしいな」でした。今年7月、オウム事件の死刑囚たちが一斉に大量処刑されたニュースを見ながら、1995年当時の記憶がじわじわとよみがえりました。
1995年1月に阪神大震災が起き、高速道路がなぎ倒されて神戸の街が火の海になっているのをテレビで何日も見続けた中学3年生の私は、「文明が崩壊した」という実感に衝撃を受けました。思春期真っただ中、高校入学間近の出来事ということもあって、将来を悲観するにはじゅうぶんな衝撃でした。
そして起こったのが、同年3月の地下鉄サリン事件です。大都市・東京の中枢で「ハルマゲドン」を信じたカルト教団の教徒たちが猛毒をばらまくという、まさに「世の終わり」を感じさせる事件でした。個人的にも多大な影響を受け、宗教と現代社会との関わりを考えざるを得なくなった私は、オウム信者の顔がニュースで流されるのを複雑な面持ちで眺めていました。
テレビでコメンテーターが言いました。「彼らは論理的思考ができていないからこういう事件を起こした」。果たしてそうだろうか。テレビに映るオウム信者たちはみな高学歴で、中には医者や化学者のような理系のエリートもいました。論理的思考ができるとかできないとか、そんな問題なのだろうかと、当時高校1年生の私は強烈な違和感を感じました。
それと、いわゆる「宗教」というのはだいたいにおいて論理的思考を最優先事項としないものでしょう。となれば、あらゆる宗教はオウムと変わらないということになります。当時の私は、ふつうの宗教とオウム真理教の何が違うのか、大いに興味がありました。しかしそれを説明できる人は、テレビにも、学校の教師にも、仏教関係者にもいませんでした。私は同級生と「ポアするぞ」「グルである」「第7サティアン」などとオウム用語で戯れながら、周囲の大人たちやこの社会への漠然とした失望感を抱えていきました。
特に仏教関係者への失望は大きいものがありました。オウムと自分たちとの違いも明確に示せなければ、自分たちの不甲斐なさへの反省もない。仏教者のほとんどは自分たちの存在意義が分かっていないのだろうと思いました。それは今回の死刑執行に対して「仏教は不殺生を説いているので死刑には反対だ」と明言できないところにも表れています。
案の定、地下鉄サリン事件以降、一般社会からは宗教全体が奇異な目で見られるようになりました。そのことで日本人の宗教オンチは一気に加速したと思います。2000年代のスピリチュアルブームは「脱宗教教団」的な登場の仕方をし、仏像ガールや瞑想ブームは特定の宗教教団とは一定の距離を保って広がりました。日本社会は今でも、特定の宗教に参加している人への忌避感を保ち続けています。
別に全部がオウム事件のせいとは思いませんが、日本社会が抱える宗教観の特徴(はっきり言えば「歪み」)のいくらかはオウム事件によるところが大きいでしょう。それは、宗教関係者が不甲斐ないことももちろんあるのですが、それ以上にオウム事件の犯人たちの言葉が社会に届いていないということにあると思います。
動機も不明。事件の経緯も不明。反省の有無も不明。何もかも分からないことばかりなので、社会の側は「宗教は怖い」「宗教を信じる人は危険」と決めつけて処理するしかありません。それを解明しないまま、オウム事件の根幹にかかわった人々の死刑が執行されてしまいました。この事件の真相は永久に分からなくなりました。
はっきり言ってオウム真理教事件は未解決事件です。犯人を捕まえて死刑にしてスッキリしたところで、真相が分からなければ未解決。未解決である限り2度目、3度目がある。そのことのほうが私には怖いし、危険なことだと思います。
2018年8月21日 坂田光永
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