仏 教
 と現 代

明治150年というけれど

 今年2018年は「明治150年」だそうです。安倍首相は今年の年頭所感で「本年は、明治維新から150年目の年です」と切り出して明治維新を称賛。施政方針演説に盛り込んだり、政府内に「明治150年」関連施策推進室を設けたりしています。大河ドラマ『西郷どん』も明治150年にちなんで決まったとか。

 西郷隆盛、吉田松陰、坂本龍馬… 幕末の英雄は右も左もみんな大好き。龍馬ファンなら誰しも「日本の夜明けぜよ」と無意味に叫んだことがあるでしょう(←イメージ)。実は私も龍馬ファンの一人なので、あまり大きなことは言えませんが、それでも最近は、明治維新とは本当に称賛に値すべき出来事だったのか疑問に感じることが多くなりました。

 特に仏教に携わっている身からすると、明治維新とはむしろ受難の時代です。もっと言えば、日本の伝統文化にとっての受難の時代だったといってもよいでしょう。

 というのは、明治維新が、日本の伝統文化の最も重要な要素である「神仏習合」を破壊し、「神仏分離」「廃仏毀釈」を強硬に推し進めたからに他なりません。それはたまたま「はずみ」でそうなったのではなく、明治維新の中核を担った人々が明確な意図をもって実行したのでした。

 そもそも神仏習合とは、「日本の神々への信仰(神道)と仏教とが融合・調和した状態」をさします。飛鳥時代の仏教伝来から江戸幕末に至るまで、1300年以上にわたって続いてきました。

 例えば、お寺とセットで「鎮守社」と呼ばれる神社が建てられたり、神様であるはずの八幡神が「八幡大菩薩」と仏教式で呼ばれたり、神社を管理する「別当」という寺院が造られたりしました。神社とお寺はお互いに持ちつ持たれつの関係を保ち、儀式や教理についても相互に影響を与え合いました。例えば京都・八坂神社の有名な「祇園祭」(=写真)には、「祇園」という仏教用語がついているではありませんか。さらには、神様か仏様かの区別がつかない「蔵王権現」のような修験道の尊格も登場しました。日本の人々は、ときにお寺に、ときに神社にお参りし、神も仏も分け隔てなく祈ったのです。

 では、なぜ明治になって突然、「神仏分離」という話が降ってわいたのでしょうか。それには、「明治維新とは何か?」ということを振り返る必要があります。

 明治維新は「維新」というだけあって、何か新しい動きなのかと思いきや、英訳すると「Meiji Restoration」(restoration=復古)となります。明治維新とは革命や改革ということではなく、「古代のような天皇中心政治の復活をめざす復古主義運動」だったのです。明治元年の「五箇条の御誓文」にさきがけて、前年末に「王政復古の大号令」が行われているのはそのためです。江戸幕府という武家政権を倒そうとした薩摩・長州の攘夷派は、武家が政権をとるずっと以前の、飛鳥・奈良時代のような律令政治に時計の針を戻そうとしたのです(その証拠に、明治元年には「神祇官」が復活しています)。

 ところが、政権をとった攘夷派は、「攘夷だ!」「外国人を打ち払え!」と騒いでいたにも関わらず、欧米諸国の高度な文明に触れるや否や反転し、極端な「西洋かぶれ」になります。彼らの信念は何だったのかと首をかしげてしまいますが、とにかく、急激な西洋化の方針の中で、「日本も西洋のキリスト教のような一神教に基づく政治・社会につくりかえよう」という話が本気で語られました。

 といっても、さすがにキリスト教国にするのは無理なので、「天皇=神(アマテラス)」とする本居宣長らの「国学」に基づいて、天皇中心の神道国家を建設することにしたのです。本居宣長は、神道こそが日本オリジナルの思想であり、仏教は海外から入ってきた夷狄(いてき)の思想であると考えていました。実際は、神道の発展の裏には仏教が相当な影響を及ぼしているにも関わらず…。

 ただし、神道の国教化はすぐに2つの壁にぶち当たります。1つは、「信仰の自由」「政教分離」という壁でした。西洋化を目指す明治政府が、西洋から持ち込まれた価値観に足を引っ張られたのです。これに対しては、「神道は宗教ではない」「神社は公共施設である」という理論で対処します。そして壁のもう1つが「仏教」でした。神道を国教化し、神社を支配装置として利用しようとしても、神仏習合の伝統文化がまとわりついてくるのはかないません。そこで明治政府は「神仏分離令」を出すことにしたのです。明治元年、五箇条の御誓文の直後のことです。まさに明治維新の最優先事項としてこれは行われました。

 神仏分離令を受け、全国各地の神社では、仏教の影響が徹底的に排除されました。神社に併設されていた別当寺は廃絶。仏像は破壊され、経典は燃やされ、僧侶は還俗させられました。この動きはにわかに暴動化し、寺院の無差別な破壊へと広がっていきます。これが「廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)です。

 下に、神仏分離と廃仏毀釈の事例をほんの一部、ご紹介します。

明治維新前 明治維新後
日吉神社 比叡山延暦寺の鎮守社。
神社内に仏教経典や仏具を安置。
神仏判然令を受け、神官たちが蜂起して社殿をのっとり、仏教経典や仏具を焼き払う。
廃仏毀釈の「先陣」を飾る。
祇園社
(八坂神社)
仏教語の「祇園」をつけた神社。
主祭神の「牛頭天王」(ごずてんのう)は仏教、神道、道教など出自に諸説あり。
名称、主祭神ともに変更される。
 名称「祇園社」→「八坂神社」
 祭神「牛頭天王」→「スサノオ」
ただし「祇園祭」まで廃止することはできずに今に至る。
興福寺 法相宗の寺院。
奈良仏教の中心的存在。
中世には大和国一帯を支配する事実上の領主として絶大な権力を持つ。
僧侶は全員が還俗(げんぞく)して春日大社の宮司となり、廃寺に。
所領の大部分は没収され、奈良公園や奈良ホテルなどが建つ。
五重塔は250円(諸説あり)で売り払われ、高価な仏具などが抜き取られて焼却される予定だったが、地元住民が延焼を怖れて反対し、売却をまぬがれた。
厳島神社 宮島の「弥山」(みせん)を中心に、弘法大師信仰に基づく神仏習合の山岳修行場として開山。
主祭神は「弁財天」(仏教の天部の神・弁才天が日本で変化)。
「大願寺」が普請奉行(社殿の修築を管理する寺院)にあたる。
境内に「五重塔」や「千畳閣」など巨大な仏教建築が建立。
主祭神が「宗像三女神」に変更。
廃仏毀釈の際、神社の祭殿に祀られていた弁財天像が投げ捨てられ、破損した状態で大願寺に移される。
五重塔、千畳閣は仏教建築でありながら「豊国神社」として独立。内部の仏像は大願寺に移動。
宮島内の寺院は「大願寺」「大聖院」を除いてすべて破却された。
輪王寺
日光東照宮
二荒山(ふたらさん)=補陀落(ふだらく)=観音浄土、という山岳信仰の聖地だった場所に、徳川家康を埋葬することになり、天台宗寺院「輪王寺」の中心部に「東照大権現」として祀られる(=日光東照宮)。
輪王寺の初代住職は天海。その後は代々、皇族が就任し、日光東照宮を管理。
維新勢力は「徳川幕府の討伐」「神道復活」「仏教弾圧」をめざすが…
 神社=「日光東照宮」=徳川家康
 寺院=「輪王寺」=皇族が住職
ということで混乱し、輪王寺は廃寺をまぬがれるも、境内地は分離。
日光東照宮の周囲を広大な輪王寺が取り囲む状態となり、東照宮の敷地内にも輪王寺所有の「薬師堂」が残るなど、現在まで所有地争いが続く。
天皇家 御所の「御黒戸」(おくろど)に歴代天皇の位牌が安置。
幕末の孝明天皇までは泉湧寺(真言宗)が葬儀を執り行う。
毎年正月に真言宗僧侶が宮中で「後七日御修法」を行う。
御黒戸の廃止。天皇家の位牌は御所から排除され、紆余曲折あって泉湧寺が引き取る。
明治天皇は東京に行幸したまま帰京せず、江戸城を皇居とし、皇居内に「宮中三殿」が設けられる。
天皇の葬儀は神葬祭で行われるようになる。
「後七日御修法」はしばらく中断の後、東寺で再開。

 明治政府がおこなった神仏分離と廃仏毀釈の影響は計り知れません。寺院数は全国で約半分となり、国宝級の仏像が破壊されたり海外へ売り飛ばされたりしました。明治政府の中核を担った薩摩藩などは、約1000あった仏教寺院が見事に「ゼロ」になったのです。そのうえ、修験道や陰陽道は政府の命令で禁止されました。これを政府による宗教弾圧といわずして何というのでしょう。

 もちろん、仏教の側にも多大な責任があります。おそらく江戸時代は幕府に優遇され、多くの僧侶は堕落していたのでしょう。民衆からの恨みもかっていたかと思います。でなければ、これだけ大きな暴動には発展しなかったと思います。上記の興福寺の僧侶たちは、明治政府から「還俗したら華族にしてやる」といわれて、ホイホイと僧籍を放棄しました。プライドも何もあったもんじゃありません。

 加えて言えば、神社の側も、それはそれで大打撃でした。国家神道となって晴れ晴れしい思いをしたのも束の間、寺院からの支援がなくなったため神社の維持管理が困難になりました。神職は当初、公務員として国や県から給料が出ていましたが、お金のない明治政府はすぐに大半の神職への給与をストップし、神社のリストラを強行します。小さな神社は次々に統廃合され、明治時代の終わりには神社数も半減します(ちなみに、この神社の統廃合に反対したのが南方熊楠でした)。

 こうして明治維新は、日本の伝統文化の基盤を見事に破壊しました。にもかかわらず、不思議なことに、「日本の伝統を重んじろ」「日本人はすばらしい」と主張する人の中から、こうした話を聞く機会はほとんどありません。みなこぞって明治維新を称揚するばかり。「日本を、取り戻す。」がキャッチフレーズの安倍首相がそのいい例です(そういえば安倍さんは長州出身でした)。

 「明治150年」は、いってみれば「神仏分離150年」でもあります。この歴史を無視して、明治維新を語ることは許されるのでしょうか。

2018年9月21日 坂田光永





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