仏 教
 と現 代

嵯峨天皇と般若心経

 11月15日、長尾寺さんと合同で、京都・大覚寺への団体参拝に行ってきました。大覚寺は今年、1200年前に書かれた嵯峨天皇の勅封般若心経が60年に1度のご開封の年であり、10月〜11月には一般公開されるということで、それに合わせてお参りをおこないました。

 光明院で毎月2回実施している写経会では、今年の初めから大覚寺の写経用紙を使わせていただき、この参拝に向けて気持ちを高めていきました。その間、西日本豪雨災害、巨大台風、地震、酷暑と次々に自然の猛威を見せつけられました。思えば1200年前も、嵯峨天皇は飢饉と疫病で多くの人が苦しむ姿を見て筆を執られたわけです。その心中はいかなるものだったか、おのずと想像するようになりました。

 初めは単純に、祈願として写経をしたんだろう、という程度の認識でしたが、その写経用紙は「紺紙」つまり紺色の絹布であり、文字は墨代わりに「金泥」が使われ、一文字一文字に三礼を行う「一字三礼」で書かれたということを知り、その浅はかな認識を改めました。また、「なぜ般若心経だったのか」ということも、自分なりに考えるようになりました。そこには弘法大師空海の深遠な慈悲と高度な戦略を感じて、私は深く感銘を受けたのでした。

 平安時代の幕をひらいたのは桓武天皇です。力を持ちすぎた奈良仏教の勢力を排除しようと、桓武天皇は長岡京、ついで平安京を建設。同時に、東北に住み、大和政権にまつろわぬ人々、いわゆる蝦夷(えみし)を武力で制圧すべく坂上田村麻呂を東北に派遣するなど、その剛腕ぶりは歴代天皇の中でも際立っています。

 そんな剛腕の反作用として、次の平城天皇はその名の通り平城京(=奈良)を懐かしみ、ついにはたった3年で天皇を辞めて奈良に移ってしまいました。予期せぬタイミングで治世を引き継ぐことになったのが、弟の嵯峨天皇でした。

 嵯峨天皇は即位後すぐに試練を迎えます。奈良に帰った平城上皇が藤原薬子とともに「奈良に都を戻せ」と言い出して武装蜂起(いわゆる「薬子の乱」)。これをなんとかおさめたものの、都は混乱し、皇位継承にも影響を及ぼしました。加えて、もともと桓武期以降、干害や疫病が頻発していました。人々はこれを「怨霊」のせいだと考えました。今の時代からすれば迷信のように思われますが、当時の人々にとってはそれがリアルであり、いうなれば政治への不安と不満の投影でした。

 嵯峨天皇はこの状況の責任を一身に引き受けます。そして当時、最新の仏教を日本にもたらしていた空海に助言を求めました。空海は「般若心経」の写経を勧めます。嵯峨天皇が空海の助言を受け入れ、したためたのが、このたび公開となった勅封般若心経でした。この写経の後、天変地異は治まり、以後300年におよぶ「平安な時代」の礎が築かれたのでした。

 さて、空海が般若心経を勧めたのにはどんな理由があったのでしょうか。

 通常の解説では、般若心経は「空」の思想を説いた経典だとされ、その論理的な面が強調されます。ところが空海は、般若心経は瞑想のためのお経だといいます。晩年の著作『般若心経秘鍵』には、般若心経は初期仏教から大乗仏教、そして真言密教に至る教えが経文の各所にこめられており、正しく観誦すればそのすべての教えが体得できると書かれています。空海によると般若心経は、頭で理解するものではなく、瞑想の経典、つまり祈りの経典だというのです。

 では、ここからは私の勝手な想像です。

 おそらく空海は、嵯峨天皇から相談を受けたとき、若き統治者の表情から不安と緊張を読み取ったことでしょう。思わぬバトンタッチで心の準備ができておらず、どうしていいかわからないという不安、対処を間違ってはいけないという緊張は並々ならぬものがあったはずです。また官僚たちも、若く新しい帝に対して様子見を決め込む態度もあったでしょう。あるいは嵯峨天皇の心には、国の最高権力者としての地位がありながら目の前で苦しむ人々を救えないという無力感も、あったかもしれません。

 しかし空海は、そんな新しい天皇の眼の奥に光る聡明さを見逃しませんでした。空海はきっと、天皇に自信がもたらされれば政治の安定も回復すると確信したことでしょう。加えて天皇の強い祈りの心が目に見える形で官僚たちに浸透することで、朝廷内の混乱、ひいては都の混乱も落ち着くと考えました。

 かくして当時の技術の粋を集めた写経は、実に絶大な効力を発揮しました。その証拠に、この写経は一部の文字が削り取られています。後代の天皇が削った文字を煎じて呑んだからです。難題に直面した天皇たちは、この写経の持つ霊的な力にあやかろうとしたのでした。般若心経の持つ「祈りの力」と嵯峨天皇の抱く「祈りの力」が融合した結果、後の天皇たちの不安をも解消するだけの霊力を持つに至ったのです。

 卑近な例ですが、一つの災害に支援をしようとしても、次から次へと別の災害が起こる事態の中で、私自身も無力感を感じることはありました。もちろん私とは比べ物にならない次元かもしれませんが、嵯峨天皇が抱いたかもしれない無力感を、空海は「般若心経写経」という解決策を提示することで、見事に「祈りのパワー」へと昇華させたのです。そう思うと、これはやはり、嵯峨天皇の力でもあるけれど、弘法大師空海の力でもあると感じます。空海が嵯峨天皇を導いたのだろうと思うのです。

2018年11月21日 坂田光永





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