仏 教 と現 代
お墓の歴史
墓じまい、永代供養、ロッカー式納骨堂、樹木葬… 近年、お墓をめぐる様々な話題が飛び交っています。そんな中、たまたまお墓の歴史を勉強する機会があり、意外な発見もあったので、いくつかご紹介したいと思います。
そもそも世界を見渡すと、土葬、火葬、鳥葬など様々な葬送形態があります。有名な「ピラミッド」は古代エジプトの王墓ですし、バチカンにある「サンピエトロ大聖堂」も実は聖ペテロ(サンピエトロ)のお墓の上に建っています。
我らが仏教の開祖であるブッダのお墓はというと、いわゆる「仏塔(舎利塔)」がそれに近いといえます。ブッダの遺骨(仏舎利)を弟子たちが手分けして持ち、各地に供養塔を建てました。これが「ストゥーパ」と呼ばれ、「卒塔婆」の原語になりました。ただしインドの一般の人は、火葬にされた後、川に流されたりするのでお墓は造りません。
そのころ日本ではというと、縄文時代・弥生時代ということになります。この時代のものとしては、吉野ケ里遺跡などから「甕棺墓(かめかんぼ)」と呼ばれる丸い棺が出土していますが、詳しいことはまだ分かっていません。古墳時代になると、それはまさに「古墳の時代」ですから、前方後円墳など巨大なお墓が造られていたのはご存知の通りです。ただしこれはあくまでも大王や有力者のお墓。庶民はどうしていたのか、まだまだ研究途上です。
聖徳太子が活躍した飛鳥時代には、仏教伝来とともに「火葬」も伝わってきます。お坊さんの道昭や持統天皇が日本で初めて火葬にされた人だといわれていますが、もっと古い例もあるとか。
そして平安時代に入ると、巨大都市・平安京(京都)には人口が密集しますので、河原や郊外に埋葬地が作られました。興味深いことに、そこにはいくつもの死体が転がっていたようです。いわゆる「風葬」といって、死体をそのまま野ざらしにし、自然に帰すやり方です。「餓鬼草子」(=右上画像)にその様子が描かれています。今なら遺体遺棄に問われそうですが、どうやらかなり普通に行われていたとのこと。どうして分かるかというと、都に住む貴族の屋敷に犬が死人の手や脚をくわえて持ち込んだという「ケガレ」(五体不具穢)によって、その貴族が朝廷への出勤を一定期間差し止められたという記録がいくつも残っているからです。
平安時代の終わりごろ、中世になると、いよいよ仏教とお墓が深く結びつくようになります。最初の「墓石」は比叡山延暦寺座主の良源という僧侶が、「墓に石卒塔婆を建立してほしい」と遺言したものだといわれています。そこから徐々に墓に石塔を建てる習慣が始まり、墓石の普及とともに年忌供養が少しずつ行われるようになりました。「回忌法事をしましょう」という意識が強まって墓石ができたのではなく、墓石ができたので回忌法事の意識が強まったんですね。「私の〜お墓の〜前で〜泣かないでください〜そこに私は〜いません〜」という歌がありましたが、昔の人はその逆で、お墓ができたことによって「そこにいる」と感じるようになったみたいです。また、高野山への納骨信仰が広まるのも中世です。さらに、中国から禅宗とともに坐棺や引導作法などが日本に入ってきて、その後の葬送の在り方に大きな影響を及ぼしました。
江戸時代には、檀家制度が作られたことにより、一般庶民もお寺の境内に墓地を持つようになります。ただしこの頃は「個人墓」が主流でした。今のような「○○家先祖代々」という「イエ墓」は、明治以降に増えてきたそうです。なんとなく「江戸時代は家意識が強まった」というイメージがありましたが、そうでもなさそうです。同様にイメージ的に「江戸時代は土葬が多かった」とも思っていましたが、火葬と土葬は地域差や宗派差がほとんどない状態で混在していたのだとか。大阪は人口増加のため火葬が増えたようですが、もっと人口の多い江戸は土葬が主流で、埋葬地にはかなり強引に棺桶を上から突っ込んだと思われる遺骨が発見されているそうです。
さあ、だんだん現代に近づいてきました。今から150年前の明治維新の時代は、お墓にとっても激動期。神仏分離と廃仏毀釈によって、仏教を弾圧し、神道を国教化した明治政府は、葬送に関する2つの政策を推し進めます。1つは「神葬祭」つまり神道式のお葬式の推進。これまで仏教が一手に引き受けていたお葬式を、神道にもさせようということです。ただ、これは人の死をケガレとしてきたこれまでの神道の考え方と矛盾します。そのため神葬祭は思ったほど広まらなかったものの、都内には青山墓地(現在の青山霊園)など神葬祭専用の墓地が造られました。
もう1つは「火葬禁止令」。国粋主義に染まった明治の要人たちは「火葬=仏教式=外来=日本じゃない」と決めつけ、火葬を禁止したのです。しかしこれはあまりにも現実離れした発想でした。それでも2年ほど粘ったのですが、結局は全国各地に混乱をもたらした末に火葬解禁となりました。明治維新といえば「改革」「近代化」のイメージが強いですが、このように妄想めいた非現実的政策のオンパレードであったりします。
明治以後、明治政府の狙いとは逆に、全国に火葬が普及し始めます。これには、伝染病対策や土地不足といった理由の他に、燃料(重油)の普及や火葬法の近代化など技術的な要因もあったようです。また「○○家先祖代々之墓」「○○家之墓」といった家単位の墓が増えるようになったのも、明治以後です。
そして戦後になると、高度経済成長の到来とともに農村から都会へ人口が大移動し、急激な墓地の拡大とともに、墓地の不足が起こるようになりました。現代は未曽有の「多死社会」。お墓を持たない人、田舎にお墓参りをするのが困難な人が急増し、「墓じまい」「永代供養」「納骨堂」といったキーワードが登場します。
お墓の歴史を語る上で、1989年は重要な年です。この年、新潟県巻町の妙光寺に、永代供養墓の先駆け的存在である「安穏廟」が建立されます。また同年、京都の常寂光寺では独身女性のための合葬墓「志縁廟」が建てられ、市川房江さんが碑文を揮毫しました。1999年には岩手県一関の祥雲寺が、里山保全をかねた「樹木葬」を創始します。これは本来、環境保護を目的とした取り組みでしたが、「樹木葬」というフレーズが独り歩きし、金儲けを優先したいかがわしい業者が積極的に樹木葬を宣伝するようになりました。中には産廃業者が宗教法人格を隠れ蓑にして処分場跡地を墓地にするなどの事例も見られます。散骨についても、墓地埋葬法との微妙なからみがあり、そこまで普及していません。
このように見てくると、時代や社会情勢によってお墓の在り方は様々で、「正しいお墓」というのは一概に言えなさそうです。言い換えれば、お墓は世相を映し出す鏡、お墓の歴史はまさに社会の歴史です。歴史を学んで、これからのお墓の在り方についてぜひ考えてみてください。
2019年3月21日 坂田光永
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