仏 教 と現 代

靖国神社に参拝する

 皇居で大嘗祭が行われる前日の11月13日、私は東京の靖国神社にいました。備後真言青年僧の研修で正式参拝するということになり、せっかくなので参加してみました。

 皇居の北側にある地下鉄「九段下」駅から地上に出ると、まず目に入るのが巨大な大鳥居。鳥居をくぐってしばらく歩くと、大村益次郎の銅像が屹立しています。医者でありながら幕末の戊辰戦争での長州軍の指揮官であり、彰義隊の戦いでは完璧な大砲の軌道計算で官軍(薩長軍)を圧勝に導いた人物です。ここでは日本陸軍の創設者として顕彰されているのでしょう。靖国神社が「官軍のための神社」であることを明確に表しています。

 私は新選組ファンで、近藤勇斬首後に隊士の原田左之助が彰義隊に加わっていることもあって、どうしても彰義隊にシンパシーを感じてしまいます。そもそもこの時期は徳川慶喜が明確に恭順の姿勢を示していることから、戦争そのものが不必要だったのです。それなのに官軍は強引に戦争を続け、会津藩に至っては徹底的に叩き潰しました。最近、徳川家の末裔である徳川康久宮司が「神社創建の趣旨に反し、賊軍合祀の動きを誘発した」として退任に追い込まれましたが、今でも靖国神社は「我こそは官軍」のアイデンティティを保持し続けています。

 さて、大村益次郎像から奥に向かって歩を進め、さらに2つの鳥居を抜けると、ようやく拝殿にたどり着きます。いったん会館でしばらく待つように言われ、お土産物などを眺めること約30分。靖国神社の紹介映像を見せられてから、ようやく拝殿へ案内されます。いったん拝殿でお祓いを受けた後、回廊を通っていよいよ本殿へ。そこから先は、玉串を供えて二礼二拍手一拝という、基本的には他の神社と同じような正式参拝でした。最後にお神酒をいただいて参拝は終わりました。

 東京招魂社として始まった靖国神社は、当初「明治維新に功績のあった死者」「戊辰戦争の官軍の戦死者」を祀っていたのが、日清・日露戦争あたりから一般の戦死者も対象となり、最終的に約250万柱もの霊を祀る神社となりました。1978年には東条英機らA級戦犯が合祀され、以降、昭和・平成の両天皇陛下は靖国神社を参拝していません。現在の上皇陛下が慰霊の旅は行うのに靖国には参拝しないことについて、宮司が「そこに御霊はないだろう?違う?」「今上陛下は靖国神社を潰す気なんだよ」などと発言して問題になりました。この宮司は後に辞任しましたが、おそらく靖国関係者の本音だったろうと思います。

 とはいえ、A級戦犯の合祀は靖国神社の本質的な問題ではないと私は思います。靖国の考え方では、祀られた戦死者は「英霊」として現在の日本の平和の礎になったとされています。それは兵士を「国の英雄」にまつり上げることであり、ある意味で「次なる戦争への準備」という側面があります。この「英霊」思想こそが、靖国神社の抱える本当の問題だと私は感じています。

 私自身は、本殿で手を合わせたとき、「安らかにお眠りください」「過ちは繰り返しません」という気持ちで祈りを捧げました。「英霊」ではなく、非業の死を遂げた犠牲者として彼ら戦死者を悼みたいと思いました。それが靖国神社の方針に沿わないとしても、私はそれでいいと思ったのです。それが私と御霊との正直な向き合い方でした。

 菅原道真を北野天満宮の祭神としたように、この世に恨みを持って亡くなった人の「荒魂」(あらみたま)を神として祀って「和魂」(にぎみたま)に鎮めていくのが、神社の役割のひとつであるといいます。戦死者もそういった荒魂だと思えば、靖国神社ほど神社らしい神社はないともいえます。国の都合で英雄にまつり上げられるよりも、魂を鎮めて和魂になっていただく。そのためには、今生きている私たちの振る舞いも問われることになるでしょう。

2019年11月21日 坂田光永





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