仏 教 と現 代

中村哲さんを悼む

 アフガニスタンで活動していた「ペシャワール会」現地代表の中村哲さんが、亡くなってしまいました。

 医師である中村哲さんは、今から36年前、パキスタン、アフガニスタンの山岳地帯に医療支援者として現地入りし、以来、メスの代わりにユンボのハンドルを握りしめて、現地の人々と一緒に汗を流してきました。アフガニスタンの人々は彼を敬愛し、先ごろ「アフガニスタン名誉市民」として迎え入れた、その矢先の事件でした。

 中村哲さんは2013年8月に福山に講演で訪れており、私も直接お話を伺いました。「アフガンの人々・大地を潤して29年」と題する講演では、当時深刻さを増していたアフガニスタンでの大干ばつの話から始まり、現地での厳しくも希望に満ちた取り組みが訥々と語られました。

 もともとアフガニスタンは農業国家で、ヒンズークシ山脈の豊かな雪解け水が大地を潤す、農業に適した土地であったこと。しかし、近年の気候変動(温暖化)によって干ばつが発生し、飢餓に苦しむ人々が難民となったこと。中村さんの診療所にも栄養失調によるマラリアや赤痢などの子どもたちが次々と運び込まれるようになり、「これでは本来の医師の仕事をするのでは追いつかない」「飢えや渇きは医療では治せない」と感じ、井戸を掘ることを決めたこと。以来5年間で1600カ所の井戸を掘り、人々の渇きを潤したといいます。

 そこへ起こったのが、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロと、その後のアフガニスタン空爆でした。中村さんは「アフガン問題は水とパンの問題。爆弾では解決できない」と訴えましたが、その声は届かず、空爆によって多くの子どもやお年寄りが命を落としました。テレビでは軍事評論家が「軍事施設を標的にしたピンポイント爆撃だから人道的だ」などと白々しく語っていました。いったんパキスタン側へ退避した中村さんたちは、アフガニスタンへの食糧配給を決行します。現地の仲間たちが決死の覚悟で実行し、15万人分、1800tの小麦を配りきりました。

 アメリカのアフガニスタン攻撃によってタリバン政権が崩壊し、テレビでは「自由を取り戻した人々」の様子が繰り返し流されましたが、実際に取り戻したのは「麻薬をつくる自由」でした。瞬く間にケシ畑が広がり、アフガニスタンはあっという間に世界最大の麻薬生産国になりました。

 中村さんたちは、今までの方針を何ら変えることなく続けよう、と話し合います。折しもアフガニスタンは、気候変動による雪解け水の急増で洪水が起こっていました。広がる砂漠化と農村の荒廃を食い止めるべく、中村さんたちは灌漑事業に乗り出します。「緑の大地計画」と名付けたその計画は、日本の江戸時代の古い治水技術と、現地の人々の人海戦術による用水路の造成でした。柳枝工、蛇籠工という日本古来の治水技術は、アフガニスタンの人々が自分たちで維持し、修理することが可能でした。もしコンクリートでやっていたら、長持ちしませんし、現地の道具で修復することもできなかったでしょう。こういうところに、「現地の人々にとって何が必要か」を突き詰める中村さんたちの思想が表れています。

 用水路が完成した地域では、みるみる緑が蘇っていきました。ですが、アメリカによる「テロとの戦い」と、それに加担した日本政府の愚かな判断が災いし、現地での活動は日に日に危険を増していました。中村さんはくり返し「武器で命は救えない」「憲法9条があったから、日本人だから命が救われたという経験を何度もした」と訴えましたが、現政権にはのれんに腕押し。最後は中村さん自身が犠牲となってしまいました。遺体がアフガニスタンを出国する際は、大統領自身が棺を持って見送るという「国葬」扱いでした。

 中村さんは現在の日本の人々にも警鐘を鳴らしています。講演の締めくくりには、「守りたいのは経済の活性化でしょうか。人間は持てば持つほど暗い顔になるようだ。GDPで計れないものもある。人間と自然との関係を見直してはどうでしょう」と語っていました。アフガニスタンのことわざに、「カネがなくても食っていけるが、雪がなければ食っていけない」という言葉があるそうです。まさに今、気候変動によって雪がなくなりつつあり、「食っていけない」事態が進行しています。これは日本でも早晩、起こってくる出来事ではないでしょうか。カネを最優先する社会から、人間と自然との関係を優先する社会へ。日本古来の治水工事や「緑の大地計画」は、現代日本にこそ必要なのだと感じます。

 中村さんはキリスト教徒でした。そんな方に申し上げるにははなはだ不適切な表現ですが、私は中村さんの実践こそが「菩薩行」であると常々感じてきました。キリスト教への信仰を持ちながら、イスラームや現地の習俗に寛容であり続けた中村さん。その志を受け継ぐなどとは簡単には言えませんが、せめてその実践は記憶にとどめておきたいと思います。

 最後に、聖書の言葉から。

 その剣を打ち変えて鋤となし その槍を打ち変えて鎌となし
 国は国に向かいて剣を上げず  もはや戦いのことを学ばざるべし

 悲しいことですが、「天国」は中村さんのような方のためにこそ存在すると思います。どうぞ神様のご加護があらんことを。

2019年12月21日 坂田光永





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